人生の時間 女のかぶりもの | パパンズdeアトリエ

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芸術、宗教、思想、科学、宇宙、夢のことなどを筆が勝手に紡ぎ出すがごとく綴ります。

「私は、産まれた時から髪の毛が一本も無いの」

その初老の牧師婦人は、やや下をうつむいたまま、そう呟いた。
当時、18歳だった自分は、一瞬の驚きと戸惑いと、畏敬の念が織り交ざったように彼女の頭に目を見張った。
いつも、髪はフサフサとしていたので、まさか髪の毛が無いという意外な告白が受入れ難いことだった。

頭に毛髪が無いということは、幼い頃、随分、虐めにもあったことだろう。
「やーい、禿おんな」と罵られ、石を投げつけられたこともあるかも知れない。
願っても叶わぬ切なさに、恐らく死を覚悟したこともあるだろう。

「恋愛や結婚など望むべきもなく、一生、独身のまま過ごすことになると覚悟はしていたけど、捨てる神あれば、拾う神あれで、今ではこうして、沢山の子供たちにも恵まれ、御覧なさい、誰一人、私のように髪の毛が無い子など一人も無く、皆、髪が黒々としてしています。
女の子が生まれると、果たして、この子に髪の毛が生えるかしらと、毎日、頭を撫ぜながら、どんなにか心穏かではありませんでしたがどうですか、皆、ちゃんと黒々とした毛が生えてきました。 
神を信じるものは、禍いは一時だけど、恵みは百代まで続きます。その奇跡こそが神の恩寵です。」

顔を輝かせながら信仰の道に救いを見出し、幸いと恵が与えられたことに、感謝の念を告白しておられた。

「でも、牧師婦人として人に接することも多いので、他人が気味悪がるのもどうかと思い、今は、かつらという便利なものがあるので、いつもはそれを頭に被っているんですね。」

その夕刻、その話を母親にすると、うな垂れ、顔を曇らせ深い溜息をつきながら「髪は女の命というから、それが無いのはさぞ詮無い事じゃのう…」とくぐもり俯いた。

ご主人でもある牧師は、戦時中は、共産主義者として徴兵拒否したため投獄され、戦後、市会議員として、世の不正を世間に訴えてきたのです。
まるで、背骨に鉄筋でも設えてあるような気骨な明治生まれの人だった。

「どんなに政治を追求しても駄目なのです。人間はそれだけでは救えないのです。そうした世間の葛藤の中で、私が最終的に辿り着いたのがキリストだったのです。 これ以外に人間を救えるものはないのです。」と断言しておられた。

思うに、その牧師先生は、自分が神を見出したのではなく、神から見出されたのだろう。
偶然、そこにあったからではなく、生来、塗炭の苦行のような試練の境遇にあったのは、神から見いだされる為に必要な試練だったのだと信じる。

『コリントの信徒への手紙一』には次のような記述がある。

『男はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶるなら、自分の頭を侮辱することになります。
女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。それは、髪の毛をそり落としたのと同じだからです。
女が頭に物をかぶらないなら、髪の毛を切ってしまいなさい。
女にとって髪の毛を切ったり、そり落としたりするのが恥ずかしいことなら、頭に物をかぶるべきです。

男は神の姿と栄光を映す者ですから、頭に物をかぶるべきではありません。
しかし、女は男の栄光を映す者です。
というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。

<中略>

男は長い髪が恥であるのに対し、女は長い髪が誉れとなることを、自然そのものがあなたがたに教えていないでしょうか。
長い髪は、かぶり物の代わりに女に与えられているのです。』

この手紙を書いたパウロは、元は熱心なサンヘドリン(祭司、律法学者らからなるローマ配下の議会)にあり、キリスト教徒を迫害する忌むべき者だった。

ユダヤ教では「嘆きの壁」、(報道番組で、エルサレムの高い石壁に頭を擦りつけながら祈るユダヤ教徒の姿を見ることがあるそれです)に祈りを捧げるとき、男は頭にキッパという河童のお皿のような帽子をして臨みます。
決して、かぶり物をしないで壁に触れることはできません。
だから、現地では外国からの訪問者の為に、紙製のキッパを貸し出しているそうです。

あの「嘆きの壁」は、元々、そこにあったエルサレム神殿の廃墟跡なのです。

 

※余談 実は、そのキッパとカッパが似ているという証言もあり、ユダヤの言語や風習に、様々共通点があるので日ユ同祖論がささやかれているのですが、そのことはもう少し探求した上で、UPしたいと思うのです。


エルサレム神殿の歴史

エルサレム神殿は、過去、二回建て替えられた歴史があるのです。
第一神殿は、紀元前1000年頃、ソロモン王が建設し、バビロンによって崩壊されたのです。
第二神殿は、紀元前515年、バビロン捕囚からの解放後に、ゼルバベルの指揮で、ほぼ同じ場所に再建され、紀元前20年に、ヘロデ大王によって更に大拡張されました。
紀元後64年にその工事が終わったので、イエス・キリストの時代、神殿建設はその改装工事の最中だったと思われる。

その光景を目撃したイエスの言葉が聖書に記述されている。


「あなたがたの見ているこれらの物について言えば、石がくずされずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます。」<ルカ 21章6節>
とイエスが警告を発している下りがある。
これは、やがて神殿が破壊され、石の壁が全面崩壊することを予言しているのです。
事実、その預言の通り、紀元後70年、ローマ軍によって見るも無残に打ち砕かれ、ユダヤの民は世界に離散する羽目になったのです。
 

イスラエルを愛する契約の神ヤハウェは、イスラエルが危機にある時には、必ず偉大なる預言者を遣わすのです。

だが、民は、一度もその声に耳を傾けたことはありません。
それどころか鞭をもって叩きつけ、鎖をもって縛り上げ、中傷、誹謗し、町の外に放り投げるのです。
弟子たちの内で、ただ一人生き残ったヨハネは、その光景を目撃したことでしょう。
ヨハネが「ヨハネの黙示録」を執筆したのは、その危機感が背景にあったからかも知れません。
 

コーヒーブレーク

その牧師婦人には、三人の姉妹がいらしたと記憶していますが、次女の方が、九州地方の牧師夫人となられ、その主人である牧師さんが他界されると、その後を継ぐため、自ら献身され地方伝道の奉仕に励まれています。

最近は、背広姿でネクタイを締め、男装した異様な姿で講壇に立たれているようです。
思うに、女であることも捨て去り、自らの肉体も献身する覚悟の表明かとも思うのだが、そもそも出家したいわけでも無いのに、剃刀で剃られたように頭髪が無い無残さに死をも覚悟する母親の意志が、娘に乗り移り、世上の幸福を捨て去り、懸命に福音を伝えようとする健気な心の告白なのだと思う。

以前、「屋根裏部屋の天使」でも紹介したことがある女性だった

「これは姉の御下がりなの」
肩の縫い目が擦り切れたようなコートを羽織りながら、ちっともそれが気にならない風で、むしろ、それが誇りようにさえ語っておられた。
本当は、艶やかで華やかで、満ち足りた豊かな高価な衣装や、光鮮やかな宝石や装飾に身を包みたいものだと思うはずだろう。
それが、天からも、世からも尊敬され愛される証拠だと思うのが、この世の人情というものだろう。
 

だが、そんなことには目もくれない彼女を、自分は愛していた。

 

そもそも、キリストを世に知らしめた、その裏方は女たちだったのです。
そもそも、イエスの母親は、マリアという女です。

エリサベツは、母マリアの親戚で、洗礼者ヨハネの母です。
サマリアの地の井戸のほとりで「水を飲ませてください」とイエスが声を掛けたのは、卑しいとされたサマリアの女だった。

彼女が、イエスが奇跡の人であることを人々に告げ知らせたのです。

あるいは、高価な香油で磔刑後のイエスの遺体に塗ろうと墓を訪れたマグダラのマリア、イエスの復活を一番に弟子たちに告げたのは彼女だったのです。

だが、思うに母親は必要以上に出しゃばるべきではないと思う。
自分の子が、他の子より可愛い事は、全てこの地上、動物も含めて同じです。

イエスが、カナの結婚式で、母親から「葡萄酒がなくなった」と言われたとき、「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」

この時、なぜ、イエスは母親を突き放すようにそう言い放ったのだろうか。

 

そう言い放ったのは、けっして母親を突き放したからではなく、子には、子のこの世に生まれた使命があるからです。
「わたしの時」とは、エルサレムに入城し、十字架刑になることを暗示しています。

自分が、やがて惨たらしい十字架の刑に処せられることを、母親に説明することが出来なかったからです。

たとえ説明したとしても、母マリアには理解できなかったからです。

子は自分の持ち物ではないからです。
動物でさえ、そのことは知っています。巣立ちの時が来れば、谷底に蹴落としてでも独り立ちさせようとします。

「なあに、可愛そうだという同情もあったかも知れません。彼女が、孤独で寂しそうだったので一緒になったのです。」
笑いながら、奥様を敬愛するその愛情溢れる言葉を告白しておられた。
「しかし、何でも神様のお蔭でこうなりましたと主張されるのも、たまにはあなたのせいで幸福になれましたと褒めてももらいたいが… まあ、いいのです。それが真実なのですから。」
やや不満気に納得される主張も、その愛から出てくる言葉なのだろう。

 

 

なぜ、こんなことを思いつくのかさっぱり分からないが、鯖の女王、芝の女王とかも言われる南の国の女王。ソロモンの知恵をはるばる音楽に届けたいと思う。
 

シルヴィ・バルタン la reine de saba サバの女王
 

 

誰だったか、シルヴィ・バルタンのことを「しょんべんバルタン」とか揶揄していた友人がいたな。

小便をあちこちにぶちかます少女だという意味だろう。

 

その友も、もうこの世にはいない。とても寂しい。

 

芝鯖娑婆の女王

 

 

シバの女王  ポール・モーリア ゆっくりバージョン 

 

 

布施明が熱唱する芝の女王

 

 

布施明、すごい歌唱力だね。 こんな風に歌えるのがいいと思う。