4話


――秀一side――



いつからだろうか。泉を特別視し始めたのは・・・・。


記憶の中にいる泉は、いつも笑っている。彼の辛い表情や悲しい表情など、今まで見た事がなかった。

だから、あの日は本当に驚いた。辛そうに泣く彼が、瞼の裏に焼きついていて消えない。


妻の早苗を病で失った時は、この世の終わりかと言うほど悲しみに暮れた。

彼女がいないのなら、自分が生きていても意味がないとさえ思った。

何日もそういう事を考えては、みっともなく泣き続けた。そんな時に傍にいてくれたのが泉だった。

呆れるでもなく、馬鹿にするでもなく、ただ傍にいてくれた。


『浅井さんは独りじゃないですよ。おれがいるじゃないですか』


自分程じゃなくても、泉だって辛かった筈だ。彼は早苗と仲が良かったから。

気丈に振舞っていても、彼も泣きたい気持ちで一杯だったのかも知れない。

それなのに、辛いのを我慢して自分を慰めてくれた。これじゃあどちらが大人か分からない。


それからは、自分は独りなんだと思う事はなかった。それは、いつも泉が傍にいてくれたからだ。

休みの日には不器用な自分の為にわざわざ料理や掃除までしに来てくれたり、学校であった面白い話をしてくれたり・・・泉はいつも自分を楽しませてくれた。“寂しい”と思う暇がない。


泉が笑うと、心の中が温かくなる。欠けた何かが満たされていくようで、秀一はいつも幸せだった。


一分一秒でも長く、泉の傍にいたい。彼の温かさに触れていたい。

そう思うようになって、それが 『普通』 じゃない事に秀一はちゃんと気付いていた。

生憎と、そこまで自分は鈍くはないのだ。


いつしか泉の事を愛してしまっていた、その気持ちに驚きはしなかった。

それが当然の事のように思っていたから。


それから秀一の葛藤が始まる。


泉を好きになる事は、早苗を裏切る行為になりはしないだろうか。

愛するのは君だけだと、二度と目を覚ます事がない彼女の前で誓ったのに。


自分の心の中に、彼女以外の誰かを住まわせてしまってもいいのだろうか。

彼女なら分かってくれる、彼女なら自分の幸せを一番に願ってくれている――なんて、どうして言えるだろうか。


本当に、自分は泉を愛し求めてもいいのか。彼女との誓いを違えても―――。



『アンタなんかに渡さないからな』



隆史のその言葉は、本当に恐ろしかった。


あの笑顔が奪われる。そう考えただけで、背筋が寒くなった。

うだうだ考えていた事が片っ端から飛んでいって、ただ 『泉は渡せない』 と強く思った。


(あの子がいなくなったら、僕に何が残る・・・・?)


空っぽだ。彼がいなくなった自分など、今度こそ生きている意味がない。

自分は、泉を愛している。早苗と比べるつもりは毛頭ない。


彼女なら分かってくれる、彼女なら自分の幸せを一番に願ってくれている。


残された人間がそう思うしかないのなら、それでもいいではないか。


それは諦めではない。その人なら本当にそう思ってくれているだろうと信じているから。


(もう、失うのは嫌だ)


秀一は意を決して、左の薬指から指輪を抜き取ると、それをコートのポケットに入れた。


自分をずっと慕ってくれていた泉を苦しめてきたもの、それを全て排除する。

けれど、彼女を想っていた気持ちだけはそのままに、これから愛するのは泉だけだ。


会って抱きしめてやりたい。ずっと傍にいてくれてありがとうと、伝えたい。


その想いを胸に、泉の家のインターホンに指を伸ばした―――。




3話


――隆史side――



『アンタなんかに渡さないからな』


と言ったのは、それで少し状況が変わるのではないかと考えたからだ。

どっち付かずの二人を見ているのが苛々するから、理由を挙げるとするならそうなのかも知れない。


秀一にそういう気がないのなら、きっぱりと泉を振って欲しかった。そうしたら泉は次へ進める。

秀一の事で悲しい表情をする彼をこれ以上見なくて済む・・・そう思っての言葉だった。


泉から聞いて知ってはいたが、あんなに過去に失った人を想い続けているとは思わなかった。

あれでは、秀一を心から慕っている泉が馬鹿みたいだ。

しかし、『過去の人』 をずっと想う気持ちは、隆史にも分かる。分かりすぎる位だ。

でも、それでも、自分は過去を振り返らないと決めた。出来る事なら、秀一にもそうなって欲しい。

今そこにある幸せに気付いて欲しいと思う。


誰かが二人の中に割って入ってやらなければ、二人の関係はずっとこのままだと思ったから隆史はああいう行動をとったのだ。全ては、考えがあっての事。


「あの・・・?」


困ったように口を開いた秀一に、物思いに耽っていてつい存在を忘れてしまっていたとでも言うように、隆史は「何?」と、秀一を見遣った。


この前の事で話があると秀一を近くの喫茶店に呼んでいた。

話題が話題なので、極力目立たない一番奥の席に二人は向かい合って座っている。


「その傷どうしたの?」


秀一が指差す所にそっと触れると、鈍い痛みがする。


「 『余計な事言うなよ、馬鹿』 」


「え?」


「そう怒鳴られて泉に殴られたんだよ。あいつ、可愛い顔してやる事は男らしいっつーか」


隆史が秀一に『渡さない宣言』をしたその日の帰り道で思いきり怒鳴られたかと思うと、次の瞬間には涙で頬を濡らした泉に左頬を殴られていた。

そりゃそうだろうと、隆史は思う。泉にとって秀一に『好きだ』と伝える事は大切な事だった筈だ。そう簡単には言ってしまえない位に。


ただえさえ、同性相手だ。気持ちを伝える事に普通の人よりかは、慎重にもなるだろう。

それを何の躊躇いもなく口にした隆史を泉が怒るのは当然だ。

気持ちを伝えるつもりだったにしろ、自分ではなく他人に言われてしまったのだから。


信じられない、そんな悲痛に濡れた瞳が隆史を睨んでいた。

それがいつか幸せに濡れた瞳に変わる事を願いながら、隆史は悪役に回ったのだ。


「話って、泉くんの事だよね?」


表情を引き締めてこちらを見詰める秀一の目を見返す。

泉の言っていた通り、目の前にいる男はそんじょそこらの男じゃない。

人目を惹く程のハンサムな男だ。柔らかそうな髪と優しそうな目が印象的で、一緒にいるだけで和むようなそんな空気を纏っているように感じる。


「あぁ。アンタがあいつの事どう思ってるのか、あいつの代わりに聞きに来た」


この事も泉にバレれば今度は殴られるだけじゃ済まないかもしれないけれど、はっきりとした秀一の答えが欲しかった。


「どうって・・・僕も泉くんの事好きだよ。ちゃんと恋愛対象として見てる」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


その言葉を聞いた瞬間、隆史の思考がストップした。


「あの日、泉くんに伝えようかと思ってたんだ。ずっと伝えようとはしてたんだけど、ほら、僕男だし、それにかなり歳離れてるしで・・・・・・色んな事が邪魔して―――」


穏やかに胸の内を明かしていく秀一を、ボーッと見詰める。

やっと動き出した頭の中を、あり得ないと言う言葉が埋め尽くしていく。


(泉はこいつが好きで・・・こいつも泉が好き・・・・)


隆史は少し混乱していた。

秀一は亡くなった妻、早苗を未だに想い続けているのだと思っていたからだ。

泉の話を聞いていた限りでは、そうとしか考えられなかった。直接会ってみても、その気持ちは変わる事はなかった。泉の一方的な片想いだとずっと思っていたのに・・・。


最初から秀一は泉の事が好きだったのか。

そうしたら、自分のとった行動の意味は何なんだ?余計に二人の関係をややこしくかき混ぜてしまっただけじゃないか。もし自分があの日秀一の家に行かなければ、二人は上手くいっていた筈だったのだろう。

それを余計な事をして邪魔をしたのだ、自分は。


良かれと思ってした事が逆に事態を悪い方へと動かしてしまった事に、隆史は心の中で泉に謝罪する。

傷付けるつもりじゃなかった。全部、お前の為だったのだと。


「悪かったよ」


「え?」


「余計な事して、悪かったよ・・・。でも、解りづらいアンタも悪い。ったく、殴られ損じゃねーか」


素直に謝るだけというのは自分らしくないので、少し悪態を吐いてみる。


「なぁ、泉の事好きだって言ったけど、亡くなった奥さんの事・・・今はどう思ってるワケ?その人より、泉の事を愛してやれんの?」


隆史はずっと秀一と言う人間は 『過去』 に生きている人間だと思っていた。

自分も同じだったから、そういう人間は見れば分かるのだ。


今を生きず、昔の思い出に浸って生きている。

『過去』 に縋っている哀れな男だと思っていたのだけれど、どうやらそうではなかったらしい。

気付いたのか、彼も。


「やっぱり答えなくていいや。もう何も言わなくていい。全部、泉に直接言ってやってくれ。『過去』 がちゃんと 『過去』 になったって。んで、安心させてやれよ」


愛した人を亡くしたからって、その人への愛も消えるなんて事はない。

その人と過ごした日々を簡単に忘れられる訳がないし、忘れる必要もない。

でも、それでも、前へ進まなければいけないのだ。


じゃないと、自分を想ってくれている存在に気付けない。


「君は本当に泉くんの事を大切に想ってるんだね」


「大切な事を教えてくれた、親友だからな・・・」


優しく微笑む秀一に、隆史も笑みを浮かべた。


「もしかして、君は僕と同じ?大切な存在を亡くした・・・」


「・・・・・・遠からず近からず、ってとこだな。俺の場合、死別じゃない」


隆史は静かにそれだけ言うと、もう話す事はないと席を立つ。


鈍感そうな秀一にも気付かれてしまった。




自分も秀一と変わらないものを持っている事に―――。








2話



隆史とは中学からの付き合いだ。気さくで面倒見が良くて、小さい事はあまり気にしない人の良い男でクラスメイト達に良く頼られていた。

ワイルドに整った顔立ちをしているので、彼はいつも異性の注目の的だった。

『恋をしている男(ひと)』 だけを好きになってしまう偏った性癖さえ持っていなければ、隆史を好きになっていたかも知れない。それくらい、隆史は魅力的な存在なのだ。


そんな隆史にカミングアウトしたのは、高校に上がった頃だった。

自分は男しか好きになれないのだと伝えたら、隆史は驚いた様子を表す事無く「そんな気してた」とだけ言って、変わらず友人として付き合ってくれている。それがどれだけ嬉しい事か、もう言葉では言い表せない。


ノンケの隆史には泉の話す恋愛話など到底理解出来ないものだったかも知れないけれど、彼はいつも親身になって泉の話を聞いていた。辛辣な言葉を掛けられる事は多々あったけれど、それは自分の事を想っての言葉だって事は充分分かっている。


――そんな隆史に告白された。泉が戸惑うのも無理はない。

友人としてずっと付き合って来た隆史に、あんな風に気持ちを伝えられるなんて思ってもいなかった。そもそも隆史はノンケなのに、どうして自分なんかを・・・そう思わずにはいられなかった。


(信じられないや・・・)


いい加減な気持ちで言ったんじゃない事は、あの時の隆史の顔を見て分かっている。けれど、どうしても信じられない気持ちも存在する。隆史がどうして自分なんかを・・・そう何度も考えるけれど、答えは見付からない。やはり、本人にもう一度尋ねてみる必要がある。


「泉くん!」


不意に強く名を呼ばれ、肩を掴まれた。それにハッと物思いから覚める。


「・・・浅井さん?」


振り返ると心配顔の秀一が立っていた。


「どうしたの、ボーっとして。カレー焦げちゃうよ?」


「うわっ!本当だっ」


泉は慌ててコンロの火を消した。物思いに耽っていて、カレーの存在を忘れていた。秀一に声を掛けて貰っていなければ、今頃悲惨な状態になっていただろう。


「ごめんなさい・・・」


「謝らなくてもいいよ。食べれなくなった訳じゃないしね」


秀一はそう言って柔らかい笑みを浮かべながら、食器棚から二人分のお皿を出し、楽しそうに白いご飯を装っている。そんな秀一を見ていると、自然と顔が綻ぶ。やっぱり自分は秀一が好きなんだと思い知らされる瞬間だ。


今日は週末で、秀一の家に来ている。

男の一人暮らしは何かと大変そうだから、今日みたいに手作りの料理を持って来てあげたり、部屋の掃除まで泉が甲斐甲斐しく行っている。


一見、器用そうな彼だが、溜息が尽きない程の不器用な男なのだ。そんな彼に料理や掃除をやらせると、飛んでもない事になるのは今までの経験で充分分かっているので、正直彼には何もさせたくないのが本音だ。


「ご地洋様でした。やっぱり泉くんの作るカレーは最高だね」


見た目以上に良く食べる秀一の事を考えて、いつもより多目に作って来たカレーも全て食べ切ってしまった。

美味しいと笑顔で自分の手作りの料理を食べて貰えるのは嬉しくて幸せで、残らず食べてくれる様を見ているのが爽快でならない。またこの人の為に作ろう。もっと喜ばせたいって、そう思う。それでか、泉の料理の腕はぐんぐん伸びてきている。


「最高なのはカレーだけじゃないけどね」


「褒めたって何も出ませんよ?」


ふわっと目尻を垂らした秀一に、泉も同じように笑顔で返す。


「そんなつもりじゃないんだけどな。――さてと、お皿は僕が洗うから、泉くんはゆっくりしててよ」


「おれがやりますから、浅井さんこそゆっくりしてて下さい!」


一度任せてしまった時の記憶が蘇って、食器を持って立ち上がる秀一を制した。

秀一には悪いが、不器用な彼一人に皿洗いなど任せられない。いや、可能な事なら家事全般自分が引き受けたい所だ。


「泉くんはお客さんな訳だし・・・」


「そのお客さんに昼食作って貰ったのは、どこの誰ですか?」


「それは・・・」 と、言葉を濁す秀一にそれじゃあと、提案を出す。


「おれが洗いますから、浅井さんはお皿を拭いて下さい。それならいいですよね?」


泉の提案に秀一は頷き、二人並んで流し台の前に立った。こうしているとまるで新婚夫婦のようで、我知らず照れてしまう。


「何かこうしてると、新婚さんみたいだね」


「―――――ッ!?」


それと同じ事を考えていた泉は、驚いた拍子にツルッと食器を落としてしまいそうになった。


(落ち着くんだ、おれ・・・・・!)


高鳴る胸を鎮めようと深呼吸をする。

ああいう事をサラッと言ってしまえる秀一を、ある意味尊敬する。


「あ、そうだ。泉くん、何か悩み事でもあるのかい?」


「え?」


「料理中にボーッとしちゃうなんて、泉くんらしくないからね。何かあったんだなって事くらい、僕にも分かるよ」


伊達に二年近く一緒にいないよと、秀一は付け足す。


ボーっとしていたのは、隆史の事を考えていたからだ。それを秀一に伝えるつもりはない。

言える訳がないのだ。寛容な秀一なら、泉の性癖を知っても疎んだり軽蔑したりしないだろう。

それこそ、隆史のように親身になって相談に乗ってくれるだろう。けれど、そんな事は望んでいない。

泉が望んでいるのは、そんな事じゃないのだ。


「言いたくないようなら無理には訊かないけど、あんまり一人で抱え込まないようにするんだよ?」


「はい・・・」


泉は、小さく頷いてゴシゴシと手を動かし始めた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



ピンポーン


ソファに座って秀一と談話していると、インターホンの音が鳴り響いた。

ちょっと行って来るねと、そう秀一は言い残して玄関へと向かって行った。ややあって、聞き慣れた声が玄関の方から聞こえた気がして、泉も玄関へと向かった。そしてそこにいたのは――


「えっ、隆史!?」


その声に、秀一と隆史の視線が泉へと向いた。


「泉くんのお友達・・・?」


どうして自分の家に来てるんだろうと、不思議そうな表情を浮かべながら秀一が口を開いた。


「あ、はい。――隆史、どうしてここに?」


スッと秀一と隆史の間に入る。

隆史には秀一の家の場所なんて教えてないのに、どうして彼がここにいるのだろう。


「お前ん家に行ったら、ここだって聞いたから。上がっていい?」


そう訊かれても自分の家ではないので、はいどうぞとは言えない。チラッと遠慮がちに秀一を振り返ると、「構わないよ」と、秀一が言ってくれたので隆史を上げた。


突然ここに隆史が現れた事にも驚いたけれど、告白されてまともに顔を合わせたのは今日が初めてで、妙に緊張して上手く言葉が紡ぎ出せない。けれどこの場で自分が黙っていたら、微妙な空気になるのは間違いない。

ただえさえ秀一と隆史は初対面なのだ、双方に交友のある泉がしっかりしなくてはいけない。


「初めまして、浅井秀一です。泉くんには長い事お世話に―――」


「知ってる」


秀一の言葉を遮って、隆史の鋭い声音が響いた。


「アンタの事は、泉から聞いて知ってる。良い人だって」


長年の付き合いだから分かる。今の隆史は、不機嫌極まりない。

隆史は、怒りをあまり表情に出さない。その代り、雰囲気や語調に怒りが表れる。

それが、今だ。隆史は秀一に敵対心剥き出しの様子だ。


秀一も彼の雰囲気を感じ取ったのか、いつもの笑顔が姿を隠している。


「あ、浅井さん。こいつ井上隆史って言って、中学からの友達なんです」


「そうなんだ」


何とか泉には笑顔で返す秀一だったが、自分の事をジッと睨めつけてくる隆史が気になって仕方ないようだ。

泉が好きな隆史からすれば、秀一は立派なライバルなのだろう。


「―――アンタ、まだそんなもんつけてんの?」


僅かな沈黙を破ったのは隆史だった。

自分の向かいに座っている秀一の左手を指差しながら、鋭く問い掛けた。


隆史が指差した秀一の左手の薬指には、キラッと銀色に光る指輪があった。秀一と早苗の結婚指輪だ。

それを見る度に、泉は少なからず心を痛めて来た。彼女はもういなくなってしまったのだから外してくれ、とは赤の他人の泉には絶対言えない。


隆史に指摘された秀一は、愛しそうにその指輪に触れた。その表情にズキッと胸が痛む。

まだこんなにも早苗の事を愛しているんだと思うと、我知らず泣きたい気持ちになる。


「・・・大切な人との大切な物だからね」


「その相手もういないのに、そこまで大切にしてどうすんだよ」


「た、隆史っ!」


何を言い出すんだと、隣に座る隆史の腕を掴む。

秀一は大きく目を瞠って、言葉を失っている。傷付けた・・・そう直感した。


「俺は別に、亡くなった人との思い出の物を大切にする事を否定してる訳じゃないし、その気持ちも分からないでもない」


隆史はそこで言葉を切って、チラッと泉の顔を見る。


「でもアンタは、それを大切にするあまり、自分を誰よりも気に掛けてくれている人の存在が見えてないんじゃないか?」


隆史は泉から秀一へと視線を移す。彼の言った事は、紛れもなく泉の事だろう。


「それはどういう意味だい・・・・?」


そう困惑気味に尋ねる秀一に、隆史は冷たく答える。


「そんな事、俺がアンタに教えてやる義理なんてねーよ。大体、こういう事は自分で気付かないと意味がない。―――兎に角、失った者をいつまでも大切に想う心は悪いとは言わねぇけど、それに囚われ過ぎるなって言ってんだ」


秀一は、隆史が言っている事の意味を解りかねている様だった。


泉はそっと目を伏せる。


確かに秀一は 『今』 を生きている筈なのに、時々、物凄く距離を感じる事がある。自分の手の届かない所へ秀一が行ってしまった様な、そんな感じがする時があるのだ。


『一途に大切な人を想う』


その言葉は、とても響きの良い言葉だと思う。それにその姿勢は、尊敬されるべき事だろう。

けれど、その相手が 『死人』 だった場合は話が違う。


愛していた人がこの世からいなくなる。それは計り知れない哀しさだろう。

愛していたが故に、愛しい人の面影がいつになっても忘れられない。恋焦がれていた幸せだった時の気持ちが、胸から無くなってしまわない。――それが、今の秀一なのかも知れない。


(浅井さんは 『今』 を生きてない・・・・・・)


泉は、爪が掌に食い込むまでギュッと膝の上で拳を握り締める。


隆史の言う通り、秀一は囚われ過ぎている。だから、亡くなった早苗が憎いと思ってしまうのだ。

亡くなっても尚、秀一を独り占めしようとしている様で、心の奥底でどす黒い感情が渦となっている。


「 『過去』 に生きてるような奴に、絶対に泉は渡さない!」


今まで静かに怒りを表せていた隆史が、声を荒げて拳まで作った。

秀一はそれに驚いた様子を見せ、動揺の色を湛えた瞳を泉に向けた。しかし泉は、それを正面で受け止める事が出来なかった。


「た、隆史。落ち着いてよ。浅井さんに失礼だろ。ね、もう帰ろう?」


このままでは一番恐れている事態になりかねないと危惧した泉は、隆史の腕を取ってこの場から逃げようとしたけれど、隆史に腕を振り払われてしまった。


そして、危惧していた事がとうとう起こってしまった。


「俺はいつだって落ち着いてるだろ。――浅井さん、アンタにも解るように言ってやろうか?泉はな、アンタの事が好きなんだよ」


ガクッと身体の力が抜けてしまいそうだった。


ずっとずっと心の奥に秘めてきた秀一への想い。


こんな形で、それを知られたくはなかった。


視界がユラユラと動いて、視点が定まらない。

その時になって自分が泣いている事に気付いた泉は、声を漏らさないように下唇を噛み締めた。

ジワッと鉄の味が口腔に広がって来たけれど、今はそんな事に構ってはいられなかった。


「俺は、どんなにこいつがアンタの事好きだって言っても、絶対アンタなんかに渡さないからな」


隆史の逞しい腕が、力強く泉の肩を抱いた。

泉は何の抵抗も抗議もせず、ずっと涙を堪え続けていた。


その後、秀一が何かを言った様だったけれど、それを聞いていられる程、この時の泉には余裕などなかった―――。