2話



隆史とは中学からの付き合いだ。気さくで面倒見が良くて、小さい事はあまり気にしない人の良い男でクラスメイト達に良く頼られていた。

ワイルドに整った顔立ちをしているので、彼はいつも異性の注目の的だった。

『恋をしている男(ひと)』 だけを好きになってしまう偏った性癖さえ持っていなければ、隆史を好きになっていたかも知れない。それくらい、隆史は魅力的な存在なのだ。


そんな隆史にカミングアウトしたのは、高校に上がった頃だった。

自分は男しか好きになれないのだと伝えたら、隆史は驚いた様子を表す事無く「そんな気してた」とだけ言って、変わらず友人として付き合ってくれている。それがどれだけ嬉しい事か、もう言葉では言い表せない。


ノンケの隆史には泉の話す恋愛話など到底理解出来ないものだったかも知れないけれど、彼はいつも親身になって泉の話を聞いていた。辛辣な言葉を掛けられる事は多々あったけれど、それは自分の事を想っての言葉だって事は充分分かっている。


――そんな隆史に告白された。泉が戸惑うのも無理はない。

友人としてずっと付き合って来た隆史に、あんな風に気持ちを伝えられるなんて思ってもいなかった。そもそも隆史はノンケなのに、どうして自分なんかを・・・そう思わずにはいられなかった。


(信じられないや・・・)


いい加減な気持ちで言ったんじゃない事は、あの時の隆史の顔を見て分かっている。けれど、どうしても信じられない気持ちも存在する。隆史がどうして自分なんかを・・・そう何度も考えるけれど、答えは見付からない。やはり、本人にもう一度尋ねてみる必要がある。


「泉くん!」


不意に強く名を呼ばれ、肩を掴まれた。それにハッと物思いから覚める。


「・・・浅井さん?」


振り返ると心配顔の秀一が立っていた。


「どうしたの、ボーっとして。カレー焦げちゃうよ?」


「うわっ!本当だっ」


泉は慌ててコンロの火を消した。物思いに耽っていて、カレーの存在を忘れていた。秀一に声を掛けて貰っていなければ、今頃悲惨な状態になっていただろう。


「ごめんなさい・・・」


「謝らなくてもいいよ。食べれなくなった訳じゃないしね」


秀一はそう言って柔らかい笑みを浮かべながら、食器棚から二人分のお皿を出し、楽しそうに白いご飯を装っている。そんな秀一を見ていると、自然と顔が綻ぶ。やっぱり自分は秀一が好きなんだと思い知らされる瞬間だ。


今日は週末で、秀一の家に来ている。

男の一人暮らしは何かと大変そうだから、今日みたいに手作りの料理を持って来てあげたり、部屋の掃除まで泉が甲斐甲斐しく行っている。


一見、器用そうな彼だが、溜息が尽きない程の不器用な男なのだ。そんな彼に料理や掃除をやらせると、飛んでもない事になるのは今までの経験で充分分かっているので、正直彼には何もさせたくないのが本音だ。


「ご地洋様でした。やっぱり泉くんの作るカレーは最高だね」


見た目以上に良く食べる秀一の事を考えて、いつもより多目に作って来たカレーも全て食べ切ってしまった。

美味しいと笑顔で自分の手作りの料理を食べて貰えるのは嬉しくて幸せで、残らず食べてくれる様を見ているのが爽快でならない。またこの人の為に作ろう。もっと喜ばせたいって、そう思う。それでか、泉の料理の腕はぐんぐん伸びてきている。


「最高なのはカレーだけじゃないけどね」


「褒めたって何も出ませんよ?」


ふわっと目尻を垂らした秀一に、泉も同じように笑顔で返す。


「そんなつもりじゃないんだけどな。――さてと、お皿は僕が洗うから、泉くんはゆっくりしててよ」


「おれがやりますから、浅井さんこそゆっくりしてて下さい!」


一度任せてしまった時の記憶が蘇って、食器を持って立ち上がる秀一を制した。

秀一には悪いが、不器用な彼一人に皿洗いなど任せられない。いや、可能な事なら家事全般自分が引き受けたい所だ。


「泉くんはお客さんな訳だし・・・」


「そのお客さんに昼食作って貰ったのは、どこの誰ですか?」


「それは・・・」 と、言葉を濁す秀一にそれじゃあと、提案を出す。


「おれが洗いますから、浅井さんはお皿を拭いて下さい。それならいいですよね?」


泉の提案に秀一は頷き、二人並んで流し台の前に立った。こうしているとまるで新婚夫婦のようで、我知らず照れてしまう。


「何かこうしてると、新婚さんみたいだね」


「―――――ッ!?」


それと同じ事を考えていた泉は、驚いた拍子にツルッと食器を落としてしまいそうになった。


(落ち着くんだ、おれ・・・・・!)


高鳴る胸を鎮めようと深呼吸をする。

ああいう事をサラッと言ってしまえる秀一を、ある意味尊敬する。


「あ、そうだ。泉くん、何か悩み事でもあるのかい?」


「え?」


「料理中にボーッとしちゃうなんて、泉くんらしくないからね。何かあったんだなって事くらい、僕にも分かるよ」


伊達に二年近く一緒にいないよと、秀一は付け足す。


ボーっとしていたのは、隆史の事を考えていたからだ。それを秀一に伝えるつもりはない。

言える訳がないのだ。寛容な秀一なら、泉の性癖を知っても疎んだり軽蔑したりしないだろう。

それこそ、隆史のように親身になって相談に乗ってくれるだろう。けれど、そんな事は望んでいない。

泉が望んでいるのは、そんな事じゃないのだ。


「言いたくないようなら無理には訊かないけど、あんまり一人で抱え込まないようにするんだよ?」


「はい・・・」


泉は、小さく頷いてゴシゴシと手を動かし始めた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



ピンポーン


ソファに座って秀一と談話していると、インターホンの音が鳴り響いた。

ちょっと行って来るねと、そう秀一は言い残して玄関へと向かって行った。ややあって、聞き慣れた声が玄関の方から聞こえた気がして、泉も玄関へと向かった。そしてそこにいたのは――


「えっ、隆史!?」


その声に、秀一と隆史の視線が泉へと向いた。


「泉くんのお友達・・・?」


どうして自分の家に来てるんだろうと、不思議そうな表情を浮かべながら秀一が口を開いた。


「あ、はい。――隆史、どうしてここに?」


スッと秀一と隆史の間に入る。

隆史には秀一の家の場所なんて教えてないのに、どうして彼がここにいるのだろう。


「お前ん家に行ったら、ここだって聞いたから。上がっていい?」


そう訊かれても自分の家ではないので、はいどうぞとは言えない。チラッと遠慮がちに秀一を振り返ると、「構わないよ」と、秀一が言ってくれたので隆史を上げた。


突然ここに隆史が現れた事にも驚いたけれど、告白されてまともに顔を合わせたのは今日が初めてで、妙に緊張して上手く言葉が紡ぎ出せない。けれどこの場で自分が黙っていたら、微妙な空気になるのは間違いない。

ただえさえ秀一と隆史は初対面なのだ、双方に交友のある泉がしっかりしなくてはいけない。


「初めまして、浅井秀一です。泉くんには長い事お世話に―――」


「知ってる」


秀一の言葉を遮って、隆史の鋭い声音が響いた。


「アンタの事は、泉から聞いて知ってる。良い人だって」


長年の付き合いだから分かる。今の隆史は、不機嫌極まりない。

隆史は、怒りをあまり表情に出さない。その代り、雰囲気や語調に怒りが表れる。

それが、今だ。隆史は秀一に敵対心剥き出しの様子だ。


秀一も彼の雰囲気を感じ取ったのか、いつもの笑顔が姿を隠している。


「あ、浅井さん。こいつ井上隆史って言って、中学からの友達なんです」


「そうなんだ」


何とか泉には笑顔で返す秀一だったが、自分の事をジッと睨めつけてくる隆史が気になって仕方ないようだ。

泉が好きな隆史からすれば、秀一は立派なライバルなのだろう。


「―――アンタ、まだそんなもんつけてんの?」


僅かな沈黙を破ったのは隆史だった。

自分の向かいに座っている秀一の左手を指差しながら、鋭く問い掛けた。


隆史が指差した秀一の左手の薬指には、キラッと銀色に光る指輪があった。秀一と早苗の結婚指輪だ。

それを見る度に、泉は少なからず心を痛めて来た。彼女はもういなくなってしまったのだから外してくれ、とは赤の他人の泉には絶対言えない。


隆史に指摘された秀一は、愛しそうにその指輪に触れた。その表情にズキッと胸が痛む。

まだこんなにも早苗の事を愛しているんだと思うと、我知らず泣きたい気持ちになる。


「・・・大切な人との大切な物だからね」


「その相手もういないのに、そこまで大切にしてどうすんだよ」


「た、隆史っ!」


何を言い出すんだと、隣に座る隆史の腕を掴む。

秀一は大きく目を瞠って、言葉を失っている。傷付けた・・・そう直感した。


「俺は別に、亡くなった人との思い出の物を大切にする事を否定してる訳じゃないし、その気持ちも分からないでもない」


隆史はそこで言葉を切って、チラッと泉の顔を見る。


「でもアンタは、それを大切にするあまり、自分を誰よりも気に掛けてくれている人の存在が見えてないんじゃないか?」


隆史は泉から秀一へと視線を移す。彼の言った事は、紛れもなく泉の事だろう。


「それはどういう意味だい・・・・?」


そう困惑気味に尋ねる秀一に、隆史は冷たく答える。


「そんな事、俺がアンタに教えてやる義理なんてねーよ。大体、こういう事は自分で気付かないと意味がない。―――兎に角、失った者をいつまでも大切に想う心は悪いとは言わねぇけど、それに囚われ過ぎるなって言ってんだ」


秀一は、隆史が言っている事の意味を解りかねている様だった。


泉はそっと目を伏せる。


確かに秀一は 『今』 を生きている筈なのに、時々、物凄く距離を感じる事がある。自分の手の届かない所へ秀一が行ってしまった様な、そんな感じがする時があるのだ。


『一途に大切な人を想う』


その言葉は、とても響きの良い言葉だと思う。それにその姿勢は、尊敬されるべき事だろう。

けれど、その相手が 『死人』 だった場合は話が違う。


愛していた人がこの世からいなくなる。それは計り知れない哀しさだろう。

愛していたが故に、愛しい人の面影がいつになっても忘れられない。恋焦がれていた幸せだった時の気持ちが、胸から無くなってしまわない。――それが、今の秀一なのかも知れない。


(浅井さんは 『今』 を生きてない・・・・・・)


泉は、爪が掌に食い込むまでギュッと膝の上で拳を握り締める。


隆史の言う通り、秀一は囚われ過ぎている。だから、亡くなった早苗が憎いと思ってしまうのだ。

亡くなっても尚、秀一を独り占めしようとしている様で、心の奥底でどす黒い感情が渦となっている。


「 『過去』 に生きてるような奴に、絶対に泉は渡さない!」


今まで静かに怒りを表せていた隆史が、声を荒げて拳まで作った。

秀一はそれに驚いた様子を見せ、動揺の色を湛えた瞳を泉に向けた。しかし泉は、それを正面で受け止める事が出来なかった。


「た、隆史。落ち着いてよ。浅井さんに失礼だろ。ね、もう帰ろう?」


このままでは一番恐れている事態になりかねないと危惧した泉は、隆史の腕を取ってこの場から逃げようとしたけれど、隆史に腕を振り払われてしまった。


そして、危惧していた事がとうとう起こってしまった。


「俺はいつだって落ち着いてるだろ。――浅井さん、アンタにも解るように言ってやろうか?泉はな、アンタの事が好きなんだよ」


ガクッと身体の力が抜けてしまいそうだった。


ずっとずっと心の奥に秘めてきた秀一への想い。


こんな形で、それを知られたくはなかった。


視界がユラユラと動いて、視点が定まらない。

その時になって自分が泣いている事に気付いた泉は、声を漏らさないように下唇を噛み締めた。

ジワッと鉄の味が口腔に広がって来たけれど、今はそんな事に構ってはいられなかった。


「俺は、どんなにこいつがアンタの事好きだって言っても、絶対アンタなんかに渡さないからな」


隆史の逞しい腕が、力強く泉の肩を抱いた。

泉は何の抵抗も抗議もせず、ずっと涙を堪え続けていた。


その後、秀一が何かを言った様だったけれど、それを聞いていられる程、この時の泉には余裕などなかった―――。