「春と喧嘩でもしたの?」


朝から一言も口をきかない俺と春樹を見兼ねてか、市原が肩を小突いて声をかけてくる。


「一度も顔出しに来ないし」


そんなんじゃねーよと適当に誤魔化しても、不審に思うなと言う方が無理だろう。


移動教室で一年の教室の前を通った時に見かけた春樹は、独りぼっちだった。

俺に会わないだけでなく、どうやら高橋とも会っていないみたいだ。


昨日の朝、俺が逃げてしまってから、彼らはどうしたんだろう、と今更考えた。

そう言えば、昨日訪ねて来た春樹は高橋の事をこれっぽっちも訊かなかった。これも不思議な話だ。


春樹に訊いてみたい気もするけれど――流石に声をかけにくい。

だって、春樹は俺がビビったせいで傷付いているかもしれない。


(一体何て言えばいい訳?)


何事もなかったように話しかけるなんて真似、俺には出来ない。


結局、一日中春樹に会う事は出来なかった。

テストで平均点以下を取った時や、何かの試合に負けた時だって、これほど凹まないに違いない。


俺は完膚なきまでに叩きのめされた気分で、とぼとぼ帰途についた。

昇降口で何気なく一年の春樹の下駄箱を覗くと、まだ靴が入っている。どうやら、校舎内にいるらしい。


「・・・そっか、バレーの試合に出るとか言ってたっけ」


独り言ちて、試合はいつなのか訊いてない事に気付いた。

今日じゃないとは思うけれど、そのための練習に参加しているのかもしれない。


春樹のスケジュールを知らないなんて、初めての事だ。

いや――何もかも知ってるようなつもりで、俺は本当は何も知らなかったんだろう。


そう、何も知らない。

何も分からないのに、分かってたつもりで・・・・・・。


“誰にも渡さない” と告げられた意味を、俺はもっと真剣に考えなければならない。そう―――春樹の本当の気持ちを。


商店街を抜けようとして、ふとスーパーの前で立ち止まる。

二度と会わない方がいいと思いながらも、今一番俺に必要な助言を与えてくれるのは、芳久しかいないような気がした。


そのまま俺は、大体の場所しか知らない彼のアパートを目指して歩き出した。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「・・・っつーか、全然分かんねーっつーの」


歩き始めて十五分も経たないうちに、音を上げてしまう。

だって “この辺り” と聞いていた場所には、似たようなアパートがゴロゴロ建っているのだ。この中から芳久の部屋を探すなんて、気の遠くなるような作業だと思う。


「こんな事なら、携帯の番号ぐらい気いときゃよかった」


住所は勿論、電話番号も聞いてない。出掛ける時は彼から迎えに来てくれたし、万一の連絡用にと俺の携帯番号は教えたけど、かかって来た事はないから着信記録もない。


未練がましくいくつかのアパートの集合ポストを覗いてみたが、三つ目で諦めた。

これはやっぱり、もう会わない方がいいって事だろう。

そうだ、春樹だって――芳久と会う事を快くは思わない。


俺は、彼が嫌がる事をしたくない。

そう思って、帰ろうと踵を返した時だった。


「梓?」


聞き覚えのある声が耳を打つのに、世の中って結構皮肉だと思った。


「何やってるの、こんなとこで」


スーパーの袋をブラ提げて、芳久が立っている。


「・・・・・・芳久さん」


「ウチ、ここ」


彼は顎をしゃくって、階段の上を示す。

覗いていた集合ポストの中に、高橋と言う名字はなかった。

でも名礼が入っていないのが幾つかあったから、そのうちのどれかなのだろう。


「俺に用?」


ぼそりと彼は訊いた。

躊躇いながらも、俺は渋々頷く。


「・・・・・・訊きたい事は、察しがつくけどね」


「高橋から、もう聞いた?」


ちょっとね、と彼は口にした。


上がれと言われて、彼の後に続いて鉄製の階段を、カンカン音を立てながら上る。


ドアを開け室内に入ると、意外なほど中は綺麗に整頓されていた。

ぐるりと周囲を見回した俺の視線に気付いたのだろう。


「掃除しとかないと、あいつが勝手にやっちゃうからね」


言い訳がましく、芳久は呟いた。


「もしかして、昨日も来た?」


「ああ。昨日も一昨日も、その前も」


彼はうんざりした口調になる。


「里奈、君の後輩と付き合ってんだって?後輩っていうと、あれだろ。俺に似たタイプの・・・」


「そこまで聞いたんだ」


「・・・・・・?言ったのは、君だぞ。ずっと連んでた仲のいい後輩がいるってね。パッと見はおっかない感じだけど、本当は優しいんだったか?」


そう言えば、どうせ知らないのだからと思って安心し、ついベラベラ喋り過ぎてしまったかもしれない。


「昨日里奈から聞いたのは、君の後輩にフラれたって事だけだよ」


「フラ・・・れた?」


嘘、と小さく呟く。

でも同時にやっぱり、と思う。


彼はちらりと俺を見たきり、何も言わなかった。


「・・・それで?高橋、他に何か言ってた?」


思わず、彼に詰め寄る。


「落ち着け」


芳久は冷蔵庫からコーラを取り出し、グラスに注いで俺に手渡した。

受け取って一口含むと、炭酸がむず痒いような痛みと共に喉に流れ込んで行く。


「君も二人が付き合うのは反対だったんだろう?里奈に、後輩に近付くなって言ったって?」


「・・・・・・ごめん、なさい」


何で謝るんだ、と彼はシラケたような目つきで俺を見る。


「俺、高橋の事泣かした。・・・って言うか、泣かすつもりなかったんだけど、気がついたら泣いてて・・・・・・俺、最低だ」


「あいつもバカな事したんだろう」


何もかも見透かしたように、彼は言った。

きっと寂しかったんだよ、という言葉は言えずに飲み込んだ。


「悪かったね。あいつ、甘やかされて育ってるから、ちょっと我が儘なんだ。何でも自分の思い通りになると思い込んでるとこがって・・・・・・でもちょっとは懲りただろう」


懲りるようなフラれ方をしたのかと思ったら、ちょっと可哀想になってくる。


「春樹、何て言ったんだろう。高橋、大丈夫かな」


「“お前の事は特別に見られない” だったかな。その他にも色々言ってたけど、後は本人から聞くといい。・・・・・・立ち直ったら、あいつまた君に嫌味を言いに行くかもしれないけど、勘弁してやって」


その他の色々、というのが気になった。

その中には、俺に嫌味を言いたくなるような事が含まれてるって事だろう?


「君といると何か和むんで、つい俺も連れ回したから、それも里奈は気に入らなかったんだろうな」


しょうがないなと言いたげに、彼は僅かに顔を顰めた。


「俺、どうすればいいんだろうなぁ」


訊くともなしに呟いた。


芳久はちらりと俺を見て、黙って肩を竦める。


「芳久さん、どう思う?もう・・・・・・大体分かってるよな?俺、実は・・・」


「それは俺に言う事じゃない」


言い掛けるのを、ピシリと遮られた。


「え・・・」


「言う相手を間違えてる。自分の気持ちなんだから、自分にしか分からない。君が今会うべき相手も、俺じゃない筈だ。違う?」


けんもほろろに彼は言った。

厳しい言葉だけど、その通りだったから俺は何も言えなくなってしまう。


「・・・・・・違わない」


「だったら、帰りなさい」


うん、と俺は頷いた。

そうして立ち上がり、玄関で靴を突っかける。


「芳久さん、ありがと。俺、楽しかったな。車乗せてもらって」


彼は僅かに口元を歪めた。


「もう・・・・・・会えないよね?」


「多分ね」


「留学、頑張ってね」


ああ、と芳久は頷き、それから思い出したように呟いた。


「君みたいな弟がいたら、楽しかったかもね」


「それ、高橋には言わないでよ」


もっとイジメられるから、と付け加えると苦笑を返された。


俺はじゃあねと身を翻し、アパートの部屋を出る。

一度だけ足と止め振り向いた。勿論、見送って何かくれない。そこには閉じられたドアがあるだけだ。


素っ気ない人だったけど、来てよかったって気もしてる。

そうでなきゃ、分からなかった事もあった。


俺が会わなきゃなんない人、話さなきゃなんない人は、芳久じゃないのだ。

そして彼に会う為に、俺はちゃんと自分の気持ちと向き合わなければ。


逃げちゃ駄目だ、と自分に言い聞かせる。


でも―――取り敢えず、行動するのは明日にしよう。



そのまま学校をサボって、家に帰った。

幸い母は出掛けていたから、あれこれと詮索される事もなく部屋に閉じ籠り、ベッドに潜り込む。


考えても考えても、混乱するばかりだ。

俺を責めるように見た春樹の目と、高橋の泣き顔ばっかりが浮かんでは消える。


そうして――いつの間にか俺は、考え疲れて眠っていたらしい。

コトンと小さな音がするのに、ハッと目が覚めた。

部屋の中はもう薄暗くなっていて、結局一日寝て過ごしてしまったのかと、我ながら呆れてしまう。


むくりと上半身を起こし、ふと人の気配がするのにギョッとした。

途端、パッと部屋の電気が点けられる。


「春樹・・・・・・!?」


びっくりした。

春樹がドアに凭れて、こっちを睨みつけている。


「な、何でお前がここに・・・」


いつ来たのだろう、と考える。

物音で目が覚めた気がするから、今入って来たばかりだろうか?


(――って、そういう事じゃなくて!)


「貴に教えてもらった。来てみたら鍵開いてるし」


玄関で俺の靴があるのに気付いたから、勝手に中に入って俺の部屋を探し出して今に至る――みたいだ。


(市原のヤツ、また余計な事しやがって!)


「あー、そう・・・」


どう答えたものかと迷いながら、取り敢えず頷いた。


春樹は物凄く不機嫌な顔をしている。

きっと、高橋を泣かせた事を怒っているのだろうと思った。


事情を訊きに来たのだろうか?それとも、既に高橋から聞いて、文句を言いに来ただけ?どっちにしても、先に謝った方がいいかもしれないと判断する。謝ったもん勝ちだ。

ごめんと言う俺を、春樹も殴ったりはしないだろう・・・・・・なんて、ちょっとズルい計算もしてたりして。


反省はしてるけど、やっぱり春樹に面と向かって責められるのは辛い。


「悪かったよ。理由はどうあれ、女の子泣かせるなんて・・・・・・反省してる。あの後、高橋どうした?」


「梓、高橋の兄貴と親しいって本当か?」


唐突に訊かれて、少し面喰った。


「え?」


どうしてそんな事訊くんだろう、不思議に思う。


「それ、高橋から聞いたのか?」


「本当なのか?毎日のように会って、ドライブに行ったりしてるって。小杉達と遊んでたって言うのは嘘だったのか?」


俺の質問は無視して、彼はなおも訊いた。

でも、そんな風に訊かれても困る。


親しいと言えるほど親しい訳じゃないし、車に乗せてもらったのもたった二回だ。

毎日会ったって言っても、もうこの先はいつ会うか分からない。

二度と会わない可能性の方が高い。


それ以前に、何で春樹がそんな事訊く訳?

俺は何て答えればいいんだ?


高橋に春樹を取られちゃったみたいで、不貞腐れてたらたまたま春樹に似た大学生に会って、寂しかったから誘われるままに出掛けた――なんて、格好悪くて報告出来ないだろ。


「何でそんな事ばっか訊くんだよ。春樹には関係ねーだろ」


だから、つい素っ気なく吐き捨ててしまった。


春樹の次の行動は、あまりにも突飛で予測のつかないものだった。

彼はいきなり俺に飛びかかって来たのだ。

ベッドの上に仰向けに倒されて、胸を締め付けられる。

いや、苦しいのは、彼が上から覆い被さっているせいだ。


「春・・・樹っ、何だよ!退けよっ」


彼は俺の腹の上に跨り、手首を押さえて体重をかけてくる。


「言えよ。・・・・・・そんなに仲いいのか?好きなのか、そいつの事」


「お前、何言ってんだよ?」


息が上がりそうになるのを堪えて、俺は間近で彼を睨みつけた。


何が何だか分からない。

どうして俺が、高橋の兄貴と出掛けた事で、春樹に責められなきゃいけねーの?

それも、こんな屈辱な格好で押さえ付けられて。


「退けったら。重いだろ!潰れるってのっ」


そっちが力ずくならと、俺も遠慮せずに彼を撥ね退けようとした。

ところが――彼はびくともしない。


そりゃ、多少の体格差は認める。

背だって、体重だって負けてる。だけど、腕っ節なら互角の筈だった。


本気で殴り合った事はないけど、負けないと心の何処かで思い込んでいた。


「春樹・・・?」


「言うまで放さない」


ぐっと手首が締め上げられる。凄い力だ。


「・・・イテッ」


急に、彼の事が怖くなった。

春樹が本気を出せば、もしかしたら俺なんか簡単に捻り潰されるんじゃねーの、と思う。


今まで彼は手加減してくれてた・・・・・・?


俺を見下ろす彼の表情はピクリとも動かず、怒りのオーラも治まってない。

春樹は、本気で怒ってる?高橋を泣かした事じゃなくて、高橋の兄貴と会ってた事で?でも、何で?それって、そんなに怒るような事か?


って言うか、今までこんな風に春樹が俺に対して怒った事なんかあっただろうか?


何だか泣きそうになってしまった。

押さえ付けられて手は動かないし、乗っかってる春樹は重いし、何が何だか分かんねーし。兎に角――おっかないし。


そんな俺をじっと見ていた春樹は、急に顔色を変えた。

驚いたように手を放し、慌てて身体をずらす。

腹部の圧迫感がなくなり、ふうっと呼吸が楽になった。


「アンタ、俺の気持ち知ってるよな・・・・・・?」


ボソボソと春樹は言った。

強い口調ではなかったけれど、何処か責めるような響きが残ってる。


「梓、高橋の兄貴の方が良くなったのか?」


別に意地を張るつもりもなかったけれど、素直に答えるのが癪で黙っていた。

それだけじゃなく、動揺してる。


だって・・・・・・一瞬でもこの俺が春樹を怖いと思うなんて。


春樹が手を放してくれたのは、多分俺の怯えを感じ取ったからだ。


「例えそうでも、渡さないからな」


「・・・え?」


「高橋の兄貴には渡さない。前にも言ったけど、梓の一番近くにいるのは、俺なんだ。これからもずっと、絶対に」


前も思った。

春樹らしくない物言いだって。

彼がこんな風に感情を露わにする事自体、物凄く珍しい事だ。


「俺は、梓の事独占していたいし、だから、高橋の兄貴が・・・・・・どんなヤツか知らないけど、ブッ殺したいくらい憎い」


それって――嫉妬だろうか?


ただの子供染みた独占欲?


それとも・・・・・・。


それきり春樹は黙り込み、やがてむくりと立ち上がると部屋を出て行った。


俺はじっと、手を凝視(みつ)める。


指先がジィンと痺れているような気がする。

押さえ付けてきた力の強さと、びくともしなかった頑丈な身体の前で、抵抗すら出来なかった惨めな自分を思うと、情けなくてたまらない。


春樹は、俺をどう思っただろう。

俺だけは彼を怖がらないと、全然怖くなんかないと思っていたのに。


頭を抱えて、狭いベッドの上をゴロゴロと左右に転がった。


春樹を裏切ってしまったような、嫌な気分だ。

これは、高橋を泣かせたどころの比じゃない。


俺の人生最大の失敗だ。

部屋で芳久が来るのを待っていると、いきなり携帯電話の着信音が鳴り響いた。

一瞬春樹かと思ったけれど、液晶画面に映っていたのはバレー部の小林だった。


「小林?何?」


『あのさ、急で悪いんだけど・・・・・・来週市原の弟に助っ人頼みたくてさ。欠員が出ちゃって』


「それなら・・・」


今言われても、ちょっと困る。

どうしよう、後で春樹には電話しとけばいいか――と思ったら。


『昨日、・・・高橋だっけ?市原の弟の彼女。あいつに訊いたらOKだって言うからさ』


「え?」


驚いて、俺は一瞬困ってしまう。


(高橋に、取り次ぎを頼んだ?春樹はそれでOKしたのか?)


彼は、試合の助っ人を好きでやってるんじゃない。

俺が春樹の活躍してる姿をみたいからと言ったから、だからバスケの助っ人だってしたんじゃなかったのか。


(こんな事でムッとするなんて、俺って心が狭いかな・・・)


高橋には、春樹を独占してたつもりはないと言ったけど、独占したかったんだろうか?俺の存在が無視された事が、何だか面白くない。そう仕向けたのは俺かもしれないのに、何でこんなに空しいんだろう。


『一応、羽柴の耳にも入れといた方がいいと思ってさ』


「何で?いいよ」


俺は精一杯強がって嘯く。


「だって、俺を通さなきゃいけない事なんかねぇんだからさ。俺、春樹のマネージャーじゃないんだぜ」


そっか、そうだよな、と彼は電話越しに笑った。

一緒になって笑ったけれど、何がおかしいんだと胸の中はムカムカしている。


『良かったじゃん、あいつに彼女出来て。これで羽柴も御役御免だろ?自由じゃん』


適当に頷いて、電話を切る。


(自由って、何だよそれ)


俺がいつ不自由してたって言うんだ。

春樹といることで、嫌だった事なんか一つもないんだ。

知りもしないで、勝手な事言わないで欲しい。


(まぁ、鬱陶しいとは思った事あるけど・・・)


不貞腐されながら携帯電話をズボンに直していると、外からパッパーとクラクションの音が聞こえた。

俺は急いで家を出、芳久の車の助手席のドアを開ける。


「・・・何かあった?」


訊かれて、全然と頭を振った。

彼は車を出そうとはせず、じっと俺を見る。

その何もかも見透かすような眼差しに、居心地の悪さを感じて、ふと窓の外に目を遣った。


そこに意外な人物の姿を見付け、俺はポカンと口を開ける。


(何でここに・・・・・・)


隣で、不意に芳久が 「追いかけて来たのか」 と舌打ちした。

そうして彼はいきなり車を発進させる。多少荒っぽいハンドル捌きに、俺は急いでシートベルトを締めた。


どうしたの、と訊くのが憚られた。

多分彼は、俺が気付くのとほぼ同時に窓の人影を見たのだ。

自転車に跨って荒く息をしながら泣きそうな顔をしていた、高橋里奈の姿に。


その顔を見た途端、俺は心の何処かで “やっぱり” と思った気がする。

まさかと思いながらも、もしかしたらという疑いを捨て切れなかったのかもしれない。


「ねー・・・・・・芳久さんの妹って、高橋里奈?」


彼は何も言わない。でも、否定しないのは肯定の意味なのだろう。

何だか、よく分からなくなってきた。


高橋が気後れせずに春樹に接近出来たのは、芳久に似たタイプだったからか?

彼女は多分凄いブラコンで――しかもそれは、兄妹のラインぎりぎりの感情なのかも知れなくて――それに危機感を持った芳久は、逃げようとしてる。


これは、偶然?芳久の留学と春樹への接近のタイミングは・・・・・・。


彼女は芳久に似てるから春樹を好きになったのか、それとも――。


もっと早く気付くべきだった、と後悔する。

危惧しながらも、そんな偶然ある筈ないと頭から決めてかかってた。

考えたくなくて、俺だって逃げようとしてた。


「君、あいつと知り合いだった?」


少しの沈黙の後で、彼は思い切ったように質問する。


「・・・・・・うん。ってゆーか、俺より俺の後輩と親しい」


フーン、と彼は気のない返事を寄こす。


「俺、芳久さんから聞いた事、誰にも言うつもりねぇよ」


「分かってる」


芳久は静かに呟いた。

何事もなかったように、穏やかな時間が流れ始める。

だけどそれは何処か上滑りで、空々しいものだった。


もう芳久とこんな風に会う事はないんだろうな、と諦めにも似た気持ちが込み上げて来た。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


月曜の朝、登校するなり俺は高橋に呼び出された。

人気のない屋上近くの踊り場で対峙し、彼女はギラギラした目で俺を睨みつける。


「羽柴先輩って、ズルイ」


開口一番、高橋はそう言って唇を尖らせた。

何らかのアクションはあるのだろうと覚悟していたものの、責められる意図が分からない。

俺は 「何で」 と訊き返した。


「どうして、お兄ちゃんの車に乗ってたんですか?」


その質問はある程度予測していたものだった。

だからと言って、わざわざ経緯を説明する気にはなれない。


「もう兄貴に聞いたんじゃねーの?」


切り返すと、彼女の頬がパッと赤くなる。


「・・・・・・教えてくれなかった」


悔しそうに唇を噛んで俯く姿に、どうしたものかと俺は溜息を吐く。

訊きたい事なら俺にもある。でも、訊いていいものか。それを口にする事で、芳久達の問題に嘴を突っ込む事になるのはあまり嬉しくない。


「いつからお兄ちゃんと仲いいんですか?最近ですか?」


質問が変わるのに、黙って頷いた。


「市原くんの代わりですか?お兄ちゃんが似てるから、それで近付いたんですか?」


「お前なぁ・・・」


流石にちょっと呆れて、言い返さずにはいられなくなる。


「それは、お前の方だろーが。俺が芳久さんに会ったのは偶然だよ」


「芳久・・・さん?」


信じられない、と高橋は呟く。


「羽柴先輩って、やっぱり図々しい。最近会ったばかりって言うのが本当なら、ちょっと馴れ馴れしいんじゃないですか?」


お前と同じ名字を呼びたくなかったのだという言葉は、流石に口に出来ない。

いや、するべきだったか?でも 「どうして私を毛嫌いするんですか?」 と訊かれたら答えようがない。


「お兄ちゃん、私は車に乗らせてくれなかったんですよ。借り物だから駄目って言ってたのに、何で羽柴先輩の事は乗せるんですか?金曜日の夜も、もしかして一緒でした?」


もう答える気は失せてしまい、俺は黙ってそっぽを向いた。

でもそんな俺の態度は、徒に彼女の怒りを煽っただけだったかもしれない。


「お兄ちゃんにまで色目使うの、やめて下さい!」


感情的に、高橋が怒鳴った。


「色目ェ!?」


何だよそれは、と俺もつい声を荒げてしまう。


「市原くんが、先輩よりも私を選んだからって、仕返しのつもりですか!?」


あんまりな言われように、二の句が継げなかった。

何なんだ、この女は。


「幾ら市原くんの事想ったって、結局先輩後輩以上にはなれないんですよ」


「・・・・・・お前、何言ってんの?」


「とぼけなくたって、皆知ってますよ。市原くんの事独り占めして・・・」


バカバカしい言いがかりだと頭では分かるのに、言い返さずにはいられなかった。

こんな悔辱、黙って聞き流せるほど俺は大人じゃない。


「皆って、誰だよ?適当な事言ってんじゃねーぞ。俺は、お前みたいに危なくねーんだよ」


ひくりと高橋の頬が引き攣る。


「じゃあ訊くけど、お前本当に春樹の事好きなのか?」


言えば追い詰めるかもしれないと思って、出来れば口にしないつもりの質問だった。

でも、もう我慢出来ない。


「兄貴にタイプが似てたから、代わりにする為に接近したんじゃないのかよ。本当は好きでもなんでもないクセに、てめぇの好みだけ押し付けて、弄んでたんじゃねーのかよっ」


「・・・・・・だったらどうだって言うんですか」


小刻みに手を握り締め、彼女は気丈に言い返してくる。


「似てるから好きになる事があったっていいじゃない!何がいけないんですか?」


開き直ったような態度が、無性に腹立たしかった。


「本当に好きなら、理由なんかどうでもいいさ。けど、本気じゃないならあいつを振り回すなって言ってんだよ。春樹はお前が考えてるよりもずっと素直で、真っ直ぐで・・・」


――傷付きやすいんだ。


「本気です。本気で好きならいいんでしょう?もう口出さないで下さい!羽柴先輩に何の権利があるんですか?」


「嘘つくんじゃねーよ!それの何処が本気だよっ。お前なんか、春樹には相応しくない。もう金輪際あいつに近付くな!」


ブチ切れて、そう喚いた時だった。

高橋は両手で顔を覆って、わっと泣き出した。


流石に言い過ぎたかも、と一瞬後悔したものの――背後に人の気配を感じて、恐る恐る振り返る。

そこには、一体いつからいたのか、春樹が立ち竦んでいた。


「春・・・」


「市原くんっ」


泣きながら、高橋が彼を呼ぶ。

ゆっくりと春樹は、俺ではなく彼女に近付いた。


「羽柴先輩が・・・っ、羽柴先輩が、私が邪魔だっていうの。私が市原くんと一緒にいたら、今までみたいに遊べないって。聞いてたでしょう?私なんか市原くんには相応しくないって。だから、近付くなって」


わざとらしいと思わずにはいられない程、彼女は盛大にしゃくりあげながら訴える。

嵌められたのかもしれない、と思った。だからって、言い訳のしようもないけれど。


春樹は、俺が彼女に対して怒鳴った内容を聞いていただろう。

どんな理由があったとしても、俺は確かに言ったのだ。


――もう春樹に近付くな、と。


その上女の子を泣かせた俺に、一体何が言えるだろう。

信じられないと言いたげに、春樹が俺に目を向ける。

その顔を正視出来なくて、俺はくるりと踵を返した。


「・・・・・・梓」


「市原くんっ」


春樹の呼びかけに、彼女の鳴き声が被った。


俺は階段を駆け降りる。春樹は追って来ない。

もう、俺を追いかけてはくれない。


朝のHRが始まっていた。

教室には行かず、俺はそのまま学校を後にした。


春樹も高橋もいない場所に行きたい。

彼から出来るだけ遠く離れたい。


どんなに自分を正当化しようとしても、上手くいかない。

高橋の涙を見た瞬間に、俺の中のちっちゃな正義なんか消し飛んでしまった。


――違う、正義なんか最初からなかった。


俺は、妬っかんでいたのだ。

彼女の言う通り、子供染みた独占欲を持て余して、春樹と親しくなった高橋が憎たらしくて傷付けたかった。


俺はただのイジメっ子だ。


酷い男だ。



                     

                                 続く