「春と喧嘩でもしたの?」


朝から一言も口をきかない俺と春樹を見兼ねてか、市原が肩を小突いて声をかけてくる。


「一度も顔出しに来ないし」


そんなんじゃねーよと適当に誤魔化しても、不審に思うなと言う方が無理だろう。


移動教室で一年の教室の前を通った時に見かけた春樹は、独りぼっちだった。

俺に会わないだけでなく、どうやら高橋とも会っていないみたいだ。


昨日の朝、俺が逃げてしまってから、彼らはどうしたんだろう、と今更考えた。

そう言えば、昨日訪ねて来た春樹は高橋の事をこれっぽっちも訊かなかった。これも不思議な話だ。


春樹に訊いてみたい気もするけれど――流石に声をかけにくい。

だって、春樹は俺がビビったせいで傷付いているかもしれない。


(一体何て言えばいい訳?)


何事もなかったように話しかけるなんて真似、俺には出来ない。


結局、一日中春樹に会う事は出来なかった。

テストで平均点以下を取った時や、何かの試合に負けた時だって、これほど凹まないに違いない。


俺は完膚なきまでに叩きのめされた気分で、とぼとぼ帰途についた。

昇降口で何気なく一年の春樹の下駄箱を覗くと、まだ靴が入っている。どうやら、校舎内にいるらしい。


「・・・そっか、バレーの試合に出るとか言ってたっけ」


独り言ちて、試合はいつなのか訊いてない事に気付いた。

今日じゃないとは思うけれど、そのための練習に参加しているのかもしれない。


春樹のスケジュールを知らないなんて、初めての事だ。

いや――何もかも知ってるようなつもりで、俺は本当は何も知らなかったんだろう。


そう、何も知らない。

何も分からないのに、分かってたつもりで・・・・・・。


“誰にも渡さない” と告げられた意味を、俺はもっと真剣に考えなければならない。そう―――春樹の本当の気持ちを。


商店街を抜けようとして、ふとスーパーの前で立ち止まる。

二度と会わない方がいいと思いながらも、今一番俺に必要な助言を与えてくれるのは、芳久しかいないような気がした。


そのまま俺は、大体の場所しか知らない彼のアパートを目指して歩き出した。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「・・・っつーか、全然分かんねーっつーの」


歩き始めて十五分も経たないうちに、音を上げてしまう。

だって “この辺り” と聞いていた場所には、似たようなアパートがゴロゴロ建っているのだ。この中から芳久の部屋を探すなんて、気の遠くなるような作業だと思う。


「こんな事なら、携帯の番号ぐらい気いときゃよかった」


住所は勿論、電話番号も聞いてない。出掛ける時は彼から迎えに来てくれたし、万一の連絡用にと俺の携帯番号は教えたけど、かかって来た事はないから着信記録もない。


未練がましくいくつかのアパートの集合ポストを覗いてみたが、三つ目で諦めた。

これはやっぱり、もう会わない方がいいって事だろう。

そうだ、春樹だって――芳久と会う事を快くは思わない。


俺は、彼が嫌がる事をしたくない。

そう思って、帰ろうと踵を返した時だった。


「梓?」


聞き覚えのある声が耳を打つのに、世の中って結構皮肉だと思った。


「何やってるの、こんなとこで」


スーパーの袋をブラ提げて、芳久が立っている。


「・・・・・・芳久さん」


「ウチ、ここ」


彼は顎をしゃくって、階段の上を示す。

覗いていた集合ポストの中に、高橋と言う名字はなかった。

でも名礼が入っていないのが幾つかあったから、そのうちのどれかなのだろう。


「俺に用?」


ぼそりと彼は訊いた。

躊躇いながらも、俺は渋々頷く。


「・・・・・・訊きたい事は、察しがつくけどね」


「高橋から、もう聞いた?」


ちょっとね、と彼は口にした。


上がれと言われて、彼の後に続いて鉄製の階段を、カンカン音を立てながら上る。


ドアを開け室内に入ると、意外なほど中は綺麗に整頓されていた。

ぐるりと周囲を見回した俺の視線に気付いたのだろう。


「掃除しとかないと、あいつが勝手にやっちゃうからね」


言い訳がましく、芳久は呟いた。


「もしかして、昨日も来た?」


「ああ。昨日も一昨日も、その前も」


彼はうんざりした口調になる。


「里奈、君の後輩と付き合ってんだって?後輩っていうと、あれだろ。俺に似たタイプの・・・」


「そこまで聞いたんだ」


「・・・・・・?言ったのは、君だぞ。ずっと連んでた仲のいい後輩がいるってね。パッと見はおっかない感じだけど、本当は優しいんだったか?」


そう言えば、どうせ知らないのだからと思って安心し、ついベラベラ喋り過ぎてしまったかもしれない。


「昨日里奈から聞いたのは、君の後輩にフラれたって事だけだよ」


「フラ・・・れた?」


嘘、と小さく呟く。

でも同時にやっぱり、と思う。


彼はちらりと俺を見たきり、何も言わなかった。


「・・・それで?高橋、他に何か言ってた?」


思わず、彼に詰め寄る。


「落ち着け」


芳久は冷蔵庫からコーラを取り出し、グラスに注いで俺に手渡した。

受け取って一口含むと、炭酸がむず痒いような痛みと共に喉に流れ込んで行く。


「君も二人が付き合うのは反対だったんだろう?里奈に、後輩に近付くなって言ったって?」


「・・・・・・ごめん、なさい」


何で謝るんだ、と彼はシラケたような目つきで俺を見る。


「俺、高橋の事泣かした。・・・って言うか、泣かすつもりなかったんだけど、気がついたら泣いてて・・・・・・俺、最低だ」


「あいつもバカな事したんだろう」


何もかも見透かしたように、彼は言った。

きっと寂しかったんだよ、という言葉は言えずに飲み込んだ。


「悪かったね。あいつ、甘やかされて育ってるから、ちょっと我が儘なんだ。何でも自分の思い通りになると思い込んでるとこがって・・・・・・でもちょっとは懲りただろう」


懲りるようなフラれ方をしたのかと思ったら、ちょっと可哀想になってくる。


「春樹、何て言ったんだろう。高橋、大丈夫かな」


「“お前の事は特別に見られない” だったかな。その他にも色々言ってたけど、後は本人から聞くといい。・・・・・・立ち直ったら、あいつまた君に嫌味を言いに行くかもしれないけど、勘弁してやって」


その他の色々、というのが気になった。

その中には、俺に嫌味を言いたくなるような事が含まれてるって事だろう?


「君といると何か和むんで、つい俺も連れ回したから、それも里奈は気に入らなかったんだろうな」


しょうがないなと言いたげに、彼は僅かに顔を顰めた。


「俺、どうすればいいんだろうなぁ」


訊くともなしに呟いた。


芳久はちらりと俺を見て、黙って肩を竦める。


「芳久さん、どう思う?もう・・・・・・大体分かってるよな?俺、実は・・・」


「それは俺に言う事じゃない」


言い掛けるのを、ピシリと遮られた。


「え・・・」


「言う相手を間違えてる。自分の気持ちなんだから、自分にしか分からない。君が今会うべき相手も、俺じゃない筈だ。違う?」


けんもほろろに彼は言った。

厳しい言葉だけど、その通りだったから俺は何も言えなくなってしまう。


「・・・・・・違わない」


「だったら、帰りなさい」


うん、と俺は頷いた。

そうして立ち上がり、玄関で靴を突っかける。


「芳久さん、ありがと。俺、楽しかったな。車乗せてもらって」


彼は僅かに口元を歪めた。


「もう・・・・・・会えないよね?」


「多分ね」


「留学、頑張ってね」


ああ、と芳久は頷き、それから思い出したように呟いた。


「君みたいな弟がいたら、楽しかったかもね」


「それ、高橋には言わないでよ」


もっとイジメられるから、と付け加えると苦笑を返された。


俺はじゃあねと身を翻し、アパートの部屋を出る。

一度だけ足と止め振り向いた。勿論、見送って何かくれない。そこには閉じられたドアがあるだけだ。


素っ気ない人だったけど、来てよかったって気もしてる。

そうでなきゃ、分からなかった事もあった。


俺が会わなきゃなんない人、話さなきゃなんない人は、芳久じゃないのだ。

そして彼に会う為に、俺はちゃんと自分の気持ちと向き合わなければ。


逃げちゃ駄目だ、と自分に言い聞かせる。


でも―――取り敢えず、行動するのは明日にしよう。