今、線維筋痛症と戦っている人がご家族にいたら、少しでも読んで理解してもらえたらな
と、思い少しずつですが思いついた時に書いていこうと思います。
私が産まれたの1971年です
そこから時代を逆算して読み取って頂けると助かります。
小学校2年の帰りに知らない男の人に襲われました。恐怖と性的な問題に心に傷を持ちました
小学校四年で、盲腸の手術
男性恐怖症などと闘いながら、人に襲われた汚い自分を知られないために、ずっと笑顔でした。
中学でイジメを受けました。
高校で知らない先輩に襲われましたが未遂
19歳で詳しくは書けませんが大きな手術しまし、精神的にここで笑う泣くなどの感情が消えました。
2年後やっと笑うと云う事が出来て泣けました。
その2年の間、記憶はありません。
24歳で劇団で日本中旅公演しました。
そこで自分の身体の痛みや違和感に気づいた。
あちこち病院行くがストレスと言われた。
それから何年も、あちこち痛くて動けない日もあり、病院を再度まわりました。どこも異常無いと言われながらも整形外科、内科、胃腸科、脳、色々まわり最後、婦人科へ行った時
「あなた、どこも悪く無いのに痛いなんて、頭おかしいのよ、精神科行きなさい」
と、言われショックでそこから鬱病になりました。
昔も鬱病だったのでしょうが、鬱病なんて病名ありませんでしたもんね。
鬱病として生活を何年かして、33歳だったかな?
大腿ヘルニアと言われ手術して
そこから1年しても痛みがとれず、手術したとことは別の病院へ行ったら
「手術失敗だったのかもね」
と、言われて大腿ヘルニアのやり直し手術をした。
そこの東邦大学医療センター 大森病院で、なんと初めて
「線維筋痛症」と診断されました。
日本にはまだまだ線維筋痛症は知られていない時に日テレのアナウンサーが、線維筋痛症の痛みにたえられず、と言うよりたぶん痛みを誰も理解してくれずに自殺なされた。
そこで日本に少し線維筋痛症と言う名前が知れ渡り、たまたま入院した病院が線維筋痛症を診れる医師がいて、私は自分の痛みに病名がついた事に本当に泣きました。
悲しいとかではなく、やっとやっと誰かがわかってくれたと泣きました。
そこで線維筋痛症の治療開始した直後
簡単に言えば騙されて未婚で妊娠しました。
線維筋痛症と診断された人間の出産記録は日本にまだなく、どこの病院も受け入れてくれずなかなか病院が決まらない中
板橋中央総合病院だけが受け入れて下さいました。
学会で発表したいのでと出産記録をとっていましたが、無痛分娩予定が途中で点滴外れていたようで無痛分娩にならず、線維筋痛症患者が無痛分娩で産んだらと云う内容は破棄になりました。申し訳ない。
とりあえず、出産する事で私は立てなくなるかもとは言われてましたが、覚悟して未婚で産みました。
ここからが私の線維筋痛症との本当の闘いが始まるのです。
ひとまず今日はここまでで、失礼します。