ごきげんよう、えらーぶるです
今までこのブログには、あまり恋愛の話を載せたことはなかったし、それには理由もあったのだけれど、最近いくつかの出会いがあって、その中で思うこともあり、恋愛について少し書いてみようと思います。
タイプや恋愛経験、所謂恋バナをする時に、答えに窮してしまうのは、私が恋愛というものをよく理解していないからである。
私の恋愛感情のようなものは、暮れ始めの空よりも淡い。
気持ち悪いと思われるだろうけれども、目が合った時に、彼は私のことをどう思っているのだろうか、と考えること、夜な夜な恋が叶うおまじないをすること、そんな淡い行為で満足してしまうのであった。
だから、恐らく恋愛の中の一番の悦びは、告白する、される、または失恋する寸前の、一瞬のあえかな閃きにあるのだと思っている。
付き合う前に一緒に出かけ、これはアプローチなのかしら、とこそばゆく思う時、好意が滲み出る自分の行動に気づく時、多幸感に包まれるのだけれど、親密度が高まると同時に、告白されることへの不安、更に関係が深まることへの恐怖が徐々に忍び寄ってくる。
薄情と思われるかも知れないけれど、恋愛体質でもない私は誰かに対して好き好き大好きってはっきり思えることなんて今まで一度もなかったのです。
これからもないと思う。古今東西全ての殿方に会える筈もなく、今まであった人の中での相対評価で、良い悪いと言うだけ。
そうである以上、目の前にいる恋人候補者さんが、ベストな方とは限らないし、彼のことが嫌ではないにしろ絶対に好きと言える確証はどこにもないのです。
でも、ベストな方、運命の人、なんて待っていたら、いつになるやも知れぬ。ひょっとしたら現れないかも。人は皆、恋愛から結婚という流れを踏むならば、不安でさえある。
そして、恐怖の前の心地良さのみを信じ、ベストとも大好きとも断言できない人とお付き合いするのです。
愛情に自信がない、その僅かで重い躊躇いを、置いたまま前に押し進められるのは怖い。自分にも相手にも不実で、恋愛とはかけ離れている気がして。
不安に気づけばもう、少し冷めた私は一歩引いたところに居て、その後のことは、あまりハマってもいない乙女ゲームを進めてるみたいに、感情がなくなってしまう。
この人はこんなに私のことを思えるんだな、私は演技だと思われてるのかな、と客観視して、尽くされるのが申し訳なくなって、好意を気持ち悪く思うことさえある。
冷めてます。クズです。
でも、世の中の人たちも、小説や音楽なんかで散々恋愛を賛美しつつも、現実では運命でもない恋人を運命かのように扱う辺り、折り合いを付けているのではないだろうか。
それとも、彼氏、彼女はいつでも自分のナンバー1で、運命的な相手だと本気で信じているのか。
恋人が居ない時にはふと寂しさを覚えることもあるし、これは蛙化現象みたいなものな気もするけど。
私としては、同時に何人かを好きになることもありうると思ったりします。それぞれの人に、過去に好きになった人が何人かいるのと同じように、数人の好きな人が同時に現れることもあるのではないかな。
恋愛は向いてないのかも知れない。この恋ももう長くないのかな。