ジャンボタニシと自己責任の怪物 | 門前小僧、習わぬ今日を読む

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反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
アイコン,ロゴ画面はイラストレーターtakaさんより。
takaさんの詳細情報はブログ画面にて。

スマート農業とか持て囃して

ジャンボタニシみたいな害虫バラ撒かせるのは、

 

日本の農業潰して

食糧供給を海外に依存させるためにやってるようにしか見えん。


陰謀論とか言われるかもしれんけどね。

 

例え一部の水田、

 

一部の環境でジャンボタニシで生産性が上がったとしても、

 

それ以外の場所で

生産性が下がるどころか

稲が生産できなくなるような事態に陥ったら、

 

その責任は誰が取るのか。
 

ジャンボタニシ導入は

個々の農家の自己責任の範囲には絶対収まらない。
 

周辺どころか全国の農家に影響を及ぼす。

 

一個の農家がジャンボタニシ導入して

管理も上手くやり、

生産性が上がったとしても、

 

その周辺地域全体に悪影響が及ぶ。
 

その被害を受けて被害を訴えた人を

「管理ができないのは自己責任」

と逆に罵るようなやつを、

自分さえ良ければいい、

自己中心性の怪物と呼ぶべきだろう。

 

「自分ができることを

他人がやらないのは努力が足りないせいだ、

だから自己責任だ」

 

という主張は、

 

環境要因や背景要因を無視した

極めて狭隘かつ短絡的な

自己中心的な発想に基づくもので、

 

だからこそ大衆心理に馴染む。
 

他人のことを考えなくていいし、

自分の中の狭い世界で結論を出せば済む話だから。

 

富裕層の優位性を無視した教育論、

 

基礎教育に基づく技術蓄積を蔑ろにした

金融リテラシー教育導入論、

 

政府の累積債務だけを減らそうとする緊縮財政論、

 

労働条件や物価変動への浅い配慮に基づく

ベーシックインカム肯定も、

 

全てこの自己中心性に基づくものだ。

 

こうした自己中心性に基づく発想は、

単に政治的主張としてなら

個別少数なうちはまだ大した影響はないが、

 

大衆心理と結びつくことで巨大化したとき、

悍ましい怪物と化す。
 

ところがこのジャンボタニシの件に関しては、

個別少数の行動が、

ジャンボタニシの繁殖力によって短時間で怪物化してしまう。

 

文字通り、

日本の農業そのものを喰い殺し、

喰い尽くす化け物が、

 

たった一人の自己中心的で

浅はかな人間によってもたらされる。
 

怪獣パニック映画ってのはフィクションではなく、

現実を比喩的に表現した風刺映画と見るべきなんだろう。