幼稚な自己責任論と株主至上主義 | 門前小僧、習わぬ今日を読む

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反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
アイコン,ロゴ画面はイラストレーターtakaさんより。
takaさんの詳細情報はブログ画面にて。

 

こういう発言を

芸能人なのに世の中に垂れ流してしまう時点で

あんまり頭がいいとは思えないのだが、
 

自分より他人を優先すべきと

他人に自己犠牲を押し付けるのはどうかと思うし、

 

他人のことも考えてねっ

ていう程度のニュアンスを

他人を優先しろと言われたみたいに

拡大解釈して晒すのも幼稚だと思う。

 

リプ欄見てると

ノーブレス・オブリージュガーとか、

欧米では〜とか、

偉そうなこと言ってるカスがいたけど、

 

そういう輩は

自分が相手に自己犠牲を押し付けてるって自覚がないのだろうか。


そういうのも、

他人を道具として見做す

自他境界が曖昧な幼稚な発想で、

他人に説教できるレベルにいない。

 

ナイチンゲールは

「犠牲なき献身こそ真の奉仕」

と言って

自己犠牲的な無償奉仕を強く非難してたけど、

これも無償奉仕では

いかに立派な活動も長続きはしない

という人間の本質を見抜いた発言であって、

 

社会に不可欠な活動には

必ず公私のバランスが求められる。


そうしないと活動自体が不安定になるから。

 

要するに、

 

自分のことをまず考えて、

次に他人のことを考えて行動する

 

ってのが基本で、

 

他人のことをまず考えるような行動ってのは

自分の行動不能を引き起こす可能性があるから

行動原理としてはダメで、

 

他人優先が自己利益に繋がることで

継続と安定性が担保され、

初めてマトモな行動または活動になる。

 

今の日本の自己責任論とかに象徴される

自己優先的な思考は

「自分のことをまず考えて、次に他人のことを考えて行動する」

という基本が歪められた

「自分は自分のことだけ考えて行動すればいい、

他人は他人を優先して行動しなければならない」

 

という

 

他人を自分と同列に扱えない幼稚さから来ている。

 

自分が苦しいことってのは他人だって苦しいし、

自分がやりたくないことは

他人だって(やってたとしても本当は)やりたくないかもしれない

 

という、

思いやりとか想像力が不足しているということ。
 

幼児が母親に何でもやってもらえると思い込んでる状態に近い。

 

こうした幼稚さは

「自分がこう思ってるんだから相手(他人)もそうに違いない」

という自他境界が曖昧な思考と根っこが同じ。
 

要するに他人を自分と同列視出来ない、

つまり常に相手が自分の意思に従属する

と考えてしまう自己中心的な考え方で、

今日本に蔓延する自己責任論は幼稚さに起因するということ。

 

幼稚なまま大人になってしまった人には、

社会の仕組みやら必要性を

いくら説明したところで理解出来ないし、

社会貢献なんてまず不可能。


何しろ自分が嫌なことは他人がやればいい、

それで他人が疲弊しようと自己責任で

辞めたきゃ辞めろ知ったこっちゃねえ

とか平気で言える輩だからそれも当然。

 

結局、

他人を優先しろとか偉そうに説教する輩も、

自分大事さゆえに他人を優先すること自体を

嘲笑うように否定するような輩も、

同レベルな幼稚さゆえに唾飛ばし合ってるだけに過ぎない。

 

そして、

この手の幼稚な輩は

他人を母親だと思い込んでるから

何かをやってもらってても

それを当然と思い込んでるので

「仕事の対価」というものに無頓着になるから、

 

低賃金社会にも無関心なので、

株主至上主義社会と極めて親和性が高い。
 

つまり株主至上主義社会は

そうした幼稚さに支えられている。