都市と田舎、国土条件と自然との共生① | 門前小僧、習わぬ今日を読む

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反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
アイコン,ロゴ画面はイラストレーターtakaさんより。
takaさんの詳細情報はブログ画面にて。

 

 

人口減少も問題だけど、

それ以上に人口一極集中の方が問題なんでないの?
 

大都市部に直下型地震とか来たらどうなるのかとか、

そろそろ本気で考えないといかんのと違うかね。

 

人口の多寡だけで過疎問題を切り捨てるのではなく、

キチンと日本の国土条件ってものも含めて

考えてから結論出さんとアカンと思うのよね。

だから人口密集地域での直下型地震というリスクだけでなく、

基本的なところから考えていかないと。

 

まず大前提として、

現代社会では人間と自然は共生は出来ても共存は出来ない。
 

熊とか猛獣がうろつき、

いつ地盤が崩れるか分からん様な山野に

人は安心して住めないし、

 

逆に猛獣が都市部を普通にうろついてたりしても同様。
 

だから境界線をキッチリ引いて、

人の生存圏と自然を分ける必要がある。

 

自然と人の生存圏の境界線とは言っても、

線引っ張ってここから俺の陣地!

 

みたいな話は当然無理だから、

緩衝地帯ってのを設ける必要がある。


それが里山ってやつで、

必ずしも人が住む必要はなくても

頻繁に人が足を踏み入れる地域でなければならない。

 

熊の獣害報道とか見て

「田舎に住んでないで都市部に住めばいいじゃん自己責任」

とか言うのはアホで、

 

田舎という緩衝地帯があるからこそ

都市部は自然の脅威に晒されずに済んでいる。
 

過疎地を人口と言う側面でのみ見るのではなく、

自然と人間が共生するための重要地帯

として認識すれば見方も変わる。

 

当然、

だからと言って「全ての過疎地を保護すべき」とか、

そういう話でもない。
 

自然と都市、

即ち人の生存圏、生活圏との関係性から、

重要度優先度というのは出てくるかもしれない。

 

そもそも何で過疎地みたいに

生活インフラもロクに無い地域で

人が生活していたのかと言えば、

大昔の人と自然は、

ほぼ共存に近い共生関係にあったから。
 

自然の領域は

人が踏み入れる領域である里山に対して

深山(みやま)と言うけど、

 

そうしたところから自然の恵みを得て

生活してた時代が確実にあった。

 

60年くらい前まで、

人は食料のみならず、

生活に必須な材木、

燃料である薪も、

深山から得ていた。
 

そうした物資供給の利便性から、

深山に近い今で言う過疎地域に人が住むようになる。


当時は病院や学校もなく、

商店のような経済流通も未発達な

ほぼ自給自足の時代だったから、

不便さという言葉すらなかったかもしれない。

 

そうした時代は、

都市部が深山から受けていた恩恵は計り知れない。


無論現在のように化石燃料が主体となり

都市経済が発達した現代では、

その重要性は薄れてきているけど、

自然は変わらずそこにあり、

例え共存が困難になったとしても、

人は変わらず自然と共生していかなければならない。