生活の余裕と希望 | 門前小僧、習わぬ今日を読む

門前小僧、習わぬ今日を読む

反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
アイコン,ロゴ画面はイラストレーターtakaさんより。
takaさんの詳細情報はブログ画面にて。

 

まぁ、

 

そもそも大人自身が世の中に希望を持ってなくて、

金とかそんなもんに無理やり希望を見出そうと、

自覚もなく自分を誤魔化す様なマネしてれば、

 

子どもや若者は

 

何に希望を見出していいか分からなくなるだろうとは思う。

 

子どもや若者が

金に絶対の価値を置く拝金主義者とは限らないのに、

そうならざるを得ない世の中じゃ、

金がない状態では希望なぞ見出だせるはずもない。

 

金がないと言いながら笑顔で暮らせる世の中というのは、

個人が自分の仕事で

生活に不安を感じない程度の報酬を得られることで

近づかせることができる。
 

でも誰も彼もが拝金主義に走れば

自分が金を溜め込むことしか頭になくなって、

世の中に金が回らなくなり、

結果笑顔の源である余裕が排除される。

 

余裕がなくなれば笑顔が少なくなり、

楽観性も排除されて希望も失われる。
 

親に余裕(≒笑顔・希望)がなければ

子どもはそれ以上に余裕がなくなるのは道理。

 

経済は生活そのものであって、

フローが重要になる。
 

フローを重んじるなら、

フローを停滞させるストックを重視する拝金主義は

社会全体の経済、

生活を考える上で

害悪以外の何者でもないし、

人の心という問題を考える上でも、

重要な環境要因の一つになる。