投資とは金をバラ撒くだけのことを指すにあらず | 門前小僧、習わぬ今日を読む

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反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
アイコン,ロゴ画面はイラストレーターtakaさんより。
takaさんの詳細情報はブログ画面にて。

投資というのが金をばら撒くこと、金を出すことという勘違いが、公共投資というものに対する認識を歪めているのよね。


だから成長産業とかいう謎の産業に投資しろだとか、産業保護や事業保護ばっかりじゃダメだとかトンチンカンなことを言い出す。

 

例えば公的資本形成、

公共施設などの建設や設備に使われる技術やノウハウは、

民間企業が工場建設や

施設設備を整える技術やノウハウに繋がっていく。


つまりこの種の産業への投資となる公共事業は、

今後技術革新などによって

新たに生まれる産業の育成を促し、

スムーズな成長を扶ける事に繋がる。

 

要するに公共事業などによる

土木建築設備関係業への継続的な投資は、

新たな産業のみならず

今現在活況を示している産業、

そうでもない産業も含めた

全産業のさらなる発展にも繋がっていくものであり、

産業や経済の成長を促す礎として

欠かすことのできない投資ということになる。

 

当然、

 

今現在需要を満たせる程度の

ギリギリの供給能力では、

 

今後有望な産業が発見されたときに

対応が難しくなるし、

 

何より突発的な自然災害等にも

対応できるくらいの余力、

バッファストックがなければ、

産業育成も頓挫してしまうリスクも出てくる。

 

なので、

 

そういう特殊な事情のない平時から

余分な公共投資というものが必要になってくる。
 

いざとなれば

 

工期を遅らせるでも中止にするでもして、

そこに振り向けていた供給能力を

他の分野に移動させる。
 

当然かけた時間や金は無駄になるかもしれないが、

そこで働いた人たちの中にノウハウや技術は残る。

 

金を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上

と言ったのは後藤新平だったか忘れたけど、

 

要するに投資とは、

金だけでなく時間や労力など

様々なリソースを対象に振り向け、

将来的なベネフィットを得るというもので、

それは何も金で換算できるものだけではないし、

むしろ金で換算できないものの方が大事。

 

つまりこうした産業のみならず

生活の基盤となる産業への投資というのは、

 

産業保護などという甘っちょろい話ではなく、

人材を維持育成し、

技術レベルを維持発展させて行くこと

それ自体が

まだ見ぬ成長産業への

労力や時間という金には変えられないリソースも含めた

重要な投資ということ。