大学院の最終学期終了を目前に控え、ここ最近は仕事とホームモンテッソーリのお手伝いの返信に充てる時間以外はひたすら課題に追われている気がします。
週末は、娘が三食用意をしてくれ、感謝しかありません。
始まったばかりと思っていた特別支援教育のクラスももう終盤を迎えています。
このクラスで学んだ知識は膨大すぎて、消化するのにまだまだ時間が必要なのですが、その中でも自分の中で軸となるものが確立し始めている気がします。
それは「インクルージョン教育」。
以前から今後絶対に学びを深めていきたい思いながらも、なかなか真摯に向き合うということが出来ていなかったこの分野。
今回このクラスを受講することで母の中で「インクルージョン」という定義が大きく変わりました。
今までは、インクルージョンとは「どんな子も受け入れる」という「受け入れる」ことに重きを置いていました。しかし、実際には、どの子どもにも平等に学ぶ権利が初めから存在し、受け入れられるべき権利を獲得する必要はないのだと気付きました。
すべての子どもは自分の強みも弱みも同様に持ち寄り、違いを持ち寄ることで、そのクラスだけの美味しい味が出るのだと確信しています。
そこに必要なものは一体何でしょうか。
それは心だと思います。
子ども達にはインクルージョンが何かという難しい知識は必要ありません。
たとえ、隣の子が自分と違った学び方をしていても、それは驚くべきことではなく当然のことなのでしょう。子どもたちは、大人さえ邪魔をしなければ、その違いに焦点を置くことよりも、自然とその子の優しさや穏やかさなど心で感じ取ることの方が多いと思うのです。
残念ながら、違いを受け入れることが出来ないのは子どもではなく大人側。
昔からこの世界ではある種の知性にのみ焦点を当て、社会はそれを称賛しているのだと思います。そのため親たちはみんなと同じように物事を進めなければ、私たちの子どもは成功をしないと不安を抱くようになります。親たちは成功への道は一本しかないかのような見方をするのです。
しかし、この世界にはさまざまな種類の脳があります。
時には、ある種の脳には改造や適応、幅広いサポートが必要な時もあります。なぜなら、人間の創造物である言語や数、そして生活習慣等、適応しない脳もあるからです。だからこそ、人より何かに秀でている芸術家も要れば偉大な科学者もいるのです。
みんな違うからこそこの世界は美しい。
それに気付ける人と気付けない人では人生の豊かさが違うのだと感じます。
人と違うことを祝うことができる人こそが、この世の醍醐味を知ることができるのです。
そういった、子どもたちに人類の幅広いレパートリーを提供するのがインクルージョン教育だと信じています。
この数週間で、インクルージョンのクラスの動画を記録できないほど観てきました。
そこはどの子ども達にとってもメリットしかないと感じます。
社会の縮図となる場がそこには存在します。
「インクルージョン教育」という軸が、母の教育観をしっかりと支えてくれていると感じ始めている今日この頃。
この学びは永遠終わりそうにありません。
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最近また何度も手にしたこの1冊。
これからもずっとお世話になりそうです。
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