先日、友人がこんな一言を漏らしました。
「言いたくないんだけれど、つい勉強しなさいって言っちゃう」
小5の男の子と小2の女の子のママである友人。
毎朝、公文のプリントと問題集とルーティーンが決めてあるにもかかわらず、「勉強しなさい」と言ってしまうといいます。
それも、子ども達はルーティーンはきちんとこなし、やるべきことを終えているから好きなことをしているのに、遊んでいる姿を見ると不安で「勉強しなさい」という言葉がつい出てしまうのだとか。
「Yuzyちゃんには、どうして勉強しなさいって言いたくならないの?」
そう聞かれ、改めて考えてみました。
がらりと変わった教育観
第1の理由は母の中にある教育観が自分の受けてきた教育観とはまるで違うということ。
ホームモンテッソーリを10年実践してきて、強く感じているのは「学びはどこでも起きている」ということ。机の上だけではなく、親子の他愛もない会話や、『推し』について熱く語る時間までもが(笑)、娘にはすべて必要な時間であり、学ぶための活力になっていると、心底感じるようになったことが一番の理由かもしれません。
「親がやらせたいだけのおしごとなら、やらない方がいい」
娘の幼児期、モンテッソーリ教師養成講座の恩師から言われたこの言葉。
娘にやらせたいことが満載だった当時の母にとっては、耳をふさぎたくなるような痛い言葉でした。
「だって、自分がやりたいことだけやっていたら、やらなければならないことをやらない子になっちゃう」
そう反論しかかったものの、
「やらなければならないことをやらない園児」と「やりたいことができない園児」。
この時期の発達段階を考えてみると、後者の方が心配すべきであることは一目瞭然でした。
園生活でも小学校生活でもやらなければならないことは当然たくさん出てきます。
発達と共に意志力もどんどん育っていくこの時期。
家庭では「勉強しなさい」は言わなくても、子ども達は驚くほど多くのことを学び続けています。もし、やらねばならない勉強に子どもが向き合えないとしたら、何がそれを妨げているのか。
「勉強しなさい」という言葉よりも、我が子を観察するという行為の方がずっと効果があると思うのです。
モンテッソーリガイドたちはどう対応する!?
モンテッソーリの小学校では、モンテッソーリガイドと子ども達の1対1でその週の学びについてディスカッションする時間が設けられています。
やるべき予定だったことが進んでいない時、どうして進まなかったのか…。
そう聞くと、子どもは…。
「〇〇が面白くなくて、あまり好きじゃないの」
そんな正直な意見をしっかりと伝えます。
「そうなのね。じゃあ、どうしたら面白くなるか少し考えてみるわね。」
そんな言葉を子どもにかけて、次の週、同じ概念を子どもがどうしたら楽しく学べるか、モンテッソーリガイドは新たなアプローチを準備します。
こんなやり取りを何度も見るうちに、「勉強しなさい」という言葉は特効薬にはならないと確信した母。小6の今では、自ら机に向かう時間もかなり多くなった娘ですが、勉強という習慣がなかった頃も、「勉強しなさい」の効力はそれほど感じていなかったのかもしれません。
中には、この「勉強しなさい」を激励の言葉として捉えることのできるお子さんも当然いるでしょう。中学受験を控えたご家庭など、ある時間はすべて受験勉強に繋げるべく時間と考えられる場合もあるかもしれません。
もし、ただやみくもに「勉強しなさい」が癖のようになっているのだとしたら…。
少し「観察」というアプローチを取り入れるのも手かもしれません。
◆◆
ついに卒論が開始。
モンテッソーリ博士の著書を両手いっぱいに抱えて準備をする母に、娘が一言。
「私も卒業文集の原稿、書き始めたよ。」
小学校卒業の娘と大学院卒業の母。
今更ながらに、ふたりで卒業ということにハッとしました(笑)。
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