コロナ療養で「失ったもの」と「得られたもの」 | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

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中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

 

母たち夫婦によるコロナ感染で、2学期の最後はZoom授業となってしまった小6の娘。

そのまま冬休みを迎えるも、家庭内隔離のため、クリスマスのお祝いはもちろん、予定していたお友達とのお出かけや帰省等、すべてキャンセルとなってしまいました。

 

冬休み最終日。

ついに最初で最後のお出かけが叶いました!

1ヵ月ぶりの外出先は、娘の大好きなNiziUのキャラクターと会えるNizoo Cafe

 

キャラクターのご飯メニュー…。

 

そしてデザートなど…。

 

それはそれは可愛すぎるひと時でした。

 

 

 療養生活、症状以上に辛かったもの!?

 

幸いにも夫婦ともに発熱もなく比較的軽症だったものの、症状以上に辛かったのは、一つ屋根の下で行う娘との隔離生活でした。

 

隔離といっても限度があり、1日数回は顔を合わすことが避けられなかったのですが、それでも10日間という間、娘に目をかけ心をかけることのできない時間は非常に辛いものでした。

 

モンテッソーリ教育における出発点の『観察』

 

「子どもと1日24時間過ごしていても、何を見ればいいのか分からない」

 

そう呟いていた母に、当時、恩師だったモンテッソーリガイドは…。

 

「大丈夫。意識をして見るという行為を続けていれば、いつの間にか息をするのと同じくらい、観察が当たり前の行為になるから」

 

そんな言葉をいただいてから10年。

今回、初めて娘とこれほど長く離れる生活をしてみて、母にとっての『娘の観察』は、当時のモンテッソーリガイドの言葉の通り「息をするのと同じ」になりつつあるのだと改めて気付きました。

 

 

 試練は療養生活後!?

 

療養期間も終了し、心待ちにしていた日常への復帰。

しかし、母にとっての試練はここからでした。

 

10日ぶりに娘と日常を共にすると、どこか我が子が我が子ではない印象。

たくさんの我慢も苦労もしたはずなのに、そんなことを微塵も感じさせない彼女の言動が、母をかえって苦しめました。

 

12年という月日の間、「断続していた観察」が、途切れてしまったからために、いつもなら理解できることが理解できない…そんな感覚とでもいうのでしょうか。

 

しかし…。

やっと取り戻しつつある日常を前に、今冷静に考えてみて今感じているのは、『観察』という名の言い訳をもとに、自分が如何に娘に依存してきたかということ。

 

 

 

 「子離れ」こそが真の意味で寄り添うこと!?

 

4月からは中学生となる娘。

 
子離れしないといけない時期がもうすぐそこまで来ている我が家。
 
この10日間を「失われた時間」として悔やんでいた母ですが、今になってこの時間は、「得られた時間」なのではないかと感じ始めています。
 
大人になろうと頑張っている娘の努力に真の意味で寄り添うならば…。
それは「子離れ」をするということ。
 
新たなる課題を背負った新年。
この経験を「得られたもの」として、しっかり活かしていきたいです。

 

◆◆

 

絶対に新しいモノには挑戦できないタイプの母がオーダーした

NiziUの新曲『Blue Moon』にちなんだドリンク(笑)。

美味しかった♡

 

今年は「挑戦の年」にしたいです^^

 

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