我が家にあるモンテッソーリ関連書籍。
教師養成講座のマニュアルも含めると洋書、和書を合わせて200冊以上はあるでしょうか。
10年前の自分と比べると、この教育法について理解も深まってきたと思います。
でも、10年前も今も消えないものがあります。
それは「モヤモヤ感」。
全容を掴めた感じのスッキリ感は全くないのです。
強いていうなら、「パズルのピースを1つずつはめていっている感じ」というのでしょうか。
でも、このパズルは枠が決まっていなくて、どこまででも広がっていく。
そんな無限大のパズルの気がするのです。
どうしてモンテッソーリでは「おしごと」っていうの?
どうしてモンテッソーリ園では「家事」ばかりさせるの?
どうしてモンテッソーリではファンタジーはNGなの?
どうしてモンテッソーリには賞罰がないの?
どうしてモンテッソーリではワークはさせないの?
自分が培ってきた価値観とはどこか真逆ともいえるようなことの多いモンテッソーリ教育。
そんな自分の中のモヤモヤ感を感じ、認め、そしてクリアーにしていく一つ一つの時間こそが、母にとっては非常に価値ある時間だったと感じています。
そして、今まで自分がいかに「感じること」「認めること」「疑問に思うこと」ということをしてこなかったか。
この10年間は、そんな眠っている精神を呼び起こしてくれるような時間の連続でした。
それでもまだ続く「モヤモヤ感」。
マリア・モンテッソーリという医師であり、科学者であり、教育者であった女性が、生涯をかけて子どもを観察し、確立したこの教育法を身体全体で吸収するには10年などという短い時間では到底できるものではないのでしょう。
数多くのモンテッソーリアンに触れ、現場の声を聞き、モンテッソーリ女史の言葉と照らし合わせ、また我が子の姿とも重ねてみる。こんな日々の繰り返しが、きっといつになっても完成しないパズルをさらに広げてくれているのだと思います。
もし、母のようにこの教育法がよく見えずモヤモヤ感を感じている方がいらっしゃるとしたら。
ぜひ、一つずつピースがはまる感覚を大事にして欲しいと思います。
きっとこの教育法に魅せられた方々は、決してすぐに答えが欲しいわけではなく、この長旅を楽しみたいと願っている方たちだと思うからです。
ついに新6年生の娘。
長い間綴ってきた「エレメンタリー」という言葉も、そろそろ「セカンダリー」という言葉に切り替わる時期がやってきました。
母にとってもまた新たなフェーズがやってきます。
引き続き、このモヤモヤ感をしっかりと感じながら、一歩ずついきたいと思います。
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今朝の朝読はE.M.スタンディング博士のこちら。
どこかモンテッソーリ教育の「理論」と「おしごと」は別物と考えてしまいがちですが、60年前に書かれたこの書籍では当時の子ども達のおしごとする様子をモンテッソーリ教育の理論と共に紹介してくれています。この時期の子どもが「円柱さし」「ピンクタワー」「幾何タンス」の感覚教具はもちろん「セガン板」「はめ込み分数」などの算数教具を使用している記録がとても新鮮です。
30年に渡りモンテッソーリ女史の友人でもあり弟子でもあったE.M.スタンディング博士。名著「モンテッソーリの発見」と同様、「モンテッソーリ教育の現場」の訳者、佐藤幸江先生はE.M.スタンディング博士より直接指導を受けたモンテッソーリアンであるからこそ、非常に訳が読みやすいのだと感じます。最近のモンテッソーリ関連書籍とは一味違ったクラシカルな書籍に触れる時間も格別です。
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