モンテッソーリ教師養成講座乳幼児コースの映像の中で、こんな場面がありました。
「これから公園でピクニックをするから、着替えよう。準備はいい?」
そう先生に言われ、ペコリとうなずく1歳くらいの女の子。
「洋服を先に着る?それとも靴を先に履く?」
「くつ!」
自ら当たり前のように靴を履き始める女の子。
けれども、なかなかうまく履けません。
「ヘルプ!」
そう言われ、先生が笑顔で答えます。
「じゃあ、かかとの部分を持ってあげたら、自分で入れられる?」
全部やってあげるのではなく、まだ難しいと判断した部分だけお手伝い。
すると、女の子、左右逆に履いています。
「どう歩きやすい?」
先生がそう声をかけると、ニッコリ。
もちろん、先生は正しません。
今度は、自分でワンピースを着始めます。
かぶったものの、なかなか出てこない顔。
「ヘルプミー」
「●●ちゃんは、どこ?あっ、1つ目が見えた!やったぁ、今度は2つ見えた!」
先生の明るい声かけに、喜んで自分で洋服を着ます。
「ワンピース着てるね。靴も履いてるね。」
先生のその言葉に、満面の笑みを浮かべます。
最後はカーディガン。
「これがカーディガン。自分一人で着る?かわいいボタンがついているね。」
見事に両袖自分で通すものの、1歳児の手にはまだボタンが難しそう。
「ヘルプ」
「ボタンの穴を持っていてあげようか。じゃあ、ボタンを通してくれる?」
でも、まだ上手くいかないようです。
「ヘルプ」
そして、先生が行ったお手伝いは、やっぱりここでも励ましの声かけ。
「あなたなら、出来るわよ。」
そう言われた女の子。
見事に一人で着ることができました。
この世に誕生してまだ1年程度の女の子。
まだお喋りは単語程度でも、まず先生は行き先を告げ、これから何をするかきちんと説明してから着替えの時間がスタート。
洋服が先か靴が先か、女の子の意見を尊重するところから始まります。
お手伝いをお願いされても、やってあげるのではなく、どこをお手伝いすべきか見極める先生。
今思うと、娘が1歳の頃の母は、子どもにやらせるという発想すらなく、「やって」と言われたら言われるままにすべてをやってきた当時。「出来る、出来ない」で判断するのではなく、「どこが出来るか、どこが出来ないか」を判断すべきだったと後悔しています。
1人でワンピースを着られた瞬間は思わず「すごいね!えらいね!」といった声をかけがちですが、モンテッソーリアンの先生は「ワンピースも着ているね。靴も履いてるね。」と事実を述べるのみ。けれども、この言葉に含まれた先生の想い、そしてあの温かい笑みを見ていると、子どもにとってはどんな賞賛よりも嬉しいものなのだと感じます。
「ヘルプ」の言葉に必要なのは、やってあげるのではなく、その子はできるのだと信じてあげること。
この励ましこそが、真の援助に繋がるのだと実感した瞬間でした。
10歳の娘との関係においても、実はとっても必要な要素が満載のような今回のレッスン。
自戒の意を込めて、ここに綴っておきます(笑)。
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