9歳の娘。今でも幼児期の頃の記憶の鮮明さに驚かされることがあります。そして、もっと驚かされるのは、記憶をしているシーン。
ホームモンテッソーリでビーズを数えたことより、ディズニーランドで乗り物に乗ったことの方が記憶深いかと思いきや、全くそこは関係ない様子。親にとっては、「勉強<遊び」という図式が成り立っていても、子どもにとっての記憶とは、必ずしもそうでないということに驚かされます。
娘が初めて金ビーズと出会った日。
1000のビーズの重さに、「おもた~い」と大騒ぎ。
こうして五感を通じて体験したこと、感情が揺れ動かされた出来事は、その先に大人目線の勉強が付随してても、忘れることのできないシーズなのだと実感しています。
先日子どもの家の保護者会にて、こんな話が出ました。
「折角色々と知識を学んでも、なかなかそれが上手く積みあがっていかない。」
そこに足りないものがあるのだとしたら、それは感情を動かされる体験だと言います。
図鑑で見た雲の形は忘れてしまっても、お母さんと一緒に手をつなぎながら見たあの日の雲の形は忘れない。
そういった一つ一つの体験が、子どもの知識にもプラスされていく。
そんなお話がとても印象的でした。
来週で仕事納めとなる母。
娘よりも早く冬休みに入れることに嬉しさ満点。
この週末は、一足早いクリスマスモードで、お菓子の家を作る予定です。
幼児期からお世話になり続けているキットの類い。
手軽ながらも、娘にはこんな時間も思い出になっているようです。
一瞬一瞬が子ども時代の大切な思い出となってゆく毎日。
大事に過ごしたいと思います。
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