3年ぶりに足を踏み入れたソウルの街。
世界各国からの外国人観光客が増え、以前にも増してインターナショナルな街となっていることに驚きました。今までは聞こえてくる言語も中国語・日本語がメインだったのに対し、驚くほど沢山の言語が飛び交っていました。
とあるカフェでお茶をしていたとき。
娘の目に止まったのは、外国人の家族。
椅子が足りなかったようです。
すかさず、自分たちのテーブルにあった椅子を持って、声をかけにいく彼女。
相手が韓国の方であれば、知っているフレーズは韓国語で。
そうでなければ、英語で。
こんな風に、相手がどこの国の方であろうとも臆せず話しかける姿を見ると、ちょっぴり頼もしく感じました。
日常を飛び出すと、改めて感じる「英語」という言語の武器。
幼児期はどこか後ろめたい想いを常に抱いていた「英語育児」の素晴らしさを、心から感じています。
もちろん英語を使ってコミュニケーションが取れることは素晴らしいことですが、それ以上に国を超えて、自らが歩み寄っていける姿勢が、英語育児のもたらしてくれた最高のギフトだと感じた瞬間。
幼ければ幼いほど、何のために英語を学ぶのか目的が分からない時期が続きますが、9歳という年齢になりやっと、英語のありがたみを自分自身が実感し始めているようです。
「もっとソウルにいたかった。」
帰りの飛行機で娘が漏らした言葉。
あはは、母も全く同感です(笑)。
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