次の日に漢字テストを控えた娘。
きっと、今ごろ皆猛勉強に違いない!と感じていた母。
…というのも、今回は毎週の漢字テストではなく、小1から小3まですべてが範囲のテスト。
にも、関わらず彼女が行なっているのは、旧暦の月の呼び名『和風月名』の由来についてのリサーチ^^; 途中、古事記を取り出してみたり、出雲大社について調べてみたり。
辞書やiPadも総動員して、それはそれは白熱した時間(笑)。
「でも、明日は漢字なのよね。」
そう何度も言いたい気持ちに駆られる母。
でも、そんな時、決まって思い出す言葉があります。
「自分の時間の使い方の責任は、子どもにある。大人が介入するのは、子どもたちが建設的に使えていないと証明したときのみ。」
母にも時間がある通り、娘にも彼女に属している時間がある。
そう考えた時に、母は介入する権利はないことを改めて気付かされます。
6歳から9歳の間に、援助すべきなのは、学びのツールの使い方。
娘も、辞書や図鑑、そしてインターネットサーチに関しても、少しずつ学んできました。
このツールの使い方を知ることで、9歳から12歳の小学生後半に自由に研究が出来るようになると、モンテッソーリアンの講師は言います。
「この時期に学習に夢中になると、一生の情熱に繋がるの。もう、誰にも止められなくなるから。」
ついつい、ネットサーチが楽だからと、最初はiPadに飛びついていた娘も、結局は辞書に戻る羽目になることを自ら体験(笑)。自分の持つツールを磨き大切にすることを、日々体験していっています。
今日の敏感期は明日の敏感期とは限らない。
敏感期は生モノであることを嫌と言うほど突き付けられてきた母。
そっと大事に見守りたいと思います。
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