「ママは褒め方が足りない」 | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

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中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

先日、学年末テストで100点を持ち帰ってきた娘。
 
頑張ったね!と一言告げると、娘からクレームが。
 
「ママは褒め方が足りない」
 
と…(笑)。
 
ママ以外の人はそうでもないのに、ママだけはいつもクールだと言うのです^^;
 
日ごろ、あまり点数にこだわらない娘も、今回は学年末テストということで、素直に嬉しかったのでしょう。母もそれは同じ。けれども、どこか自分の中で何をどう褒めれば良いのかわからなくなっていました。
 
賞罰が存在しないモンテッソーリ教育を主軸としてきた我が家では、結果に対してご褒美をあげたり、褒めまくるようなアプローチを取ってきていません。娘自身、そのような物や言葉がなくても、幼児期は母の笑顔で十分に満足しているように感じられていたのです。
 
でも、小学校に入り、お友達の価値観が気になり始めた最近では、「お友達の家だったら○○○なのに」といった部分が少なからず出てきたようです。
 
そんな話を、先日の子どもの家の保護者会にて園長先生にお話をさせていただくと、母の中でモンテッソーリ教育における賞罰の理解が歪み始めていることに気付きました。
 
『モンテッソーリ教育では、褒めないのではなく、どこを褒めるか。』
 
これが大切だと仰る先生。
 
絵を描くことが得意な子もいれば、苦手な子もいる園生活。
ある日、画用紙に、真っ直ぐな線を二本と、その中に点を描いて「できた!」と園長先生の元へ走ってきた子がいたそうです。周りの園児たちと比べるとお絵かきにおけるスキルの差は一目瞭然。でも、その子には意味のある大事な作品。
 
「これは何を描いたの。」
 
園長先生がそう優しく尋ねると、先日お友達たちと一緒に歩いた長い砂利道とのこと。歩いても歩いても続く砂利道が忘れられなかったという男の子。
 
「わぁ、よく覚えていたね。」
 
そう先生に言ってもらった時の男の子の満足そうな表情が忘れられないといいます。
 
過程をしっかりと見守ってあげていたからこその先生の一言。見てあげるべき部分は結果よりも、娘の心はどこにあったのか。そう振り返ることが大切なのだと感じました。
 
図工の作品を持ち帰った娘。
廃品で何を作っても良かったといいます。
 
 
「可愛いね」の一言が先に出てしまった母に対し、帰宅した夫は…。
 
「どうして気球にしたの?」
「気球を包んでるものの素材は?」
「この配色は?」
 
などと、興味津々。
アートと共に生きてきた彼には、ジャッジする心よりも、作品をまず理解する心が働いたのでしょう。
 
決して評価の言葉を口にしなくても、パパとの会話で十分にお腹いっぱいになった様子の娘。
娘があの日、本当に伝えたかったのは、褒め方が足りないというよりも、母にもっと関心を持って欲しかったのかもしれません。

 

今年で7年目となるホームモンテッソーリ。

万年初心者の自分に落胆する日も多いですが、しっかりと娘の心を感じられるよう、努力しようと思います。

 

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