丁寧に生きる | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

本日一つ年をとった母(笑)。具体的な数字は、書く勇気がありませんが、誓いの言葉を記録しておきたいと思います。
 
「丁寧に生きる」
 
モンテッソーリ教育と出会い6年。最初は、知育的な側面から入ったこの教育法でしたが、6年経った今、モンテッソーリ教育とはどこか一つの側面を切り取ったものではなく、生き方そのものだと感じます。
 
この教育法と出会い、母が一番最初に受け取ったキーワードは「丁寧に」という言葉でした。
 
2歳の我が子が自分で牛乳が注げるようになるためには、どのように提示をしていくべきか。いきなり難易度の高い液体で提示をするのではなく、まずは粒子の大きいものから徐々に細かいものへ。手元は8倍の遅さに調整。子どもの家で初めてモンテッソーリアンの先生による提示を見たときは、あまりの丁寧さに時が止まった感覚を覚えました。
 
この丁寧さは、幼児期に留まらず、小学校になっても健在です。事実、現在受講中のUpper Elementaryの講座でも、高学年の生徒たちにこれほどまでに丁寧な提示を行う必要があるのかと驚くほど、「丁寧」というキーワードは存在し続けています。例えば、Language Artsの教科では、まずは”Speaking"という項目から始まります。”Conversation"と”Discussion"はどのように異なるか。では、”Discussion"を行う際は、どのような手順で行うのか。
 
●相手の話を遮らない。
●グループディスカッションの場合、話す人は誰かひとりに集中するのではなく、皆ができるだけ平等の時間配分となるよう配慮する。
●相手の言ったことを自分の言葉に置き換えて確認してみる。
 
などなど。
 
これはほんの一部ですが、話し手と聞き手のそれぞれ注意すべき点を細かく分け、一つ一つしっかりと理解した上で進めて行く手法に、ただただ驚きっぱなしの母でした。
 
こんなアカデミックな部分の丁寧さはもちろん、生活そのものの丁寧さを大切にするモンテッソーリ教育。もし今の世の中をモンテッソーリ女史がご覧になったら、警鐘を鳴らされるかもしれません。テレビ一つとっても、画面が瞬時に切り替わり、常にエンターテイメントとなりつつある日常に慣れてしまっている子どもたち。集中できなくても仕方がないのでしょう。
 
こんな時代だからこそ、地に足を付けて丁寧に生きていくことを娘に心がけてもらいたい。そのためには、まず自分が丁寧に生きることが大切なのだと心から感じています。
 
10月といえば、ハロウィンの季節。
今年の衣装も決まり、ルンルンの時間を過ごしている我が家の8歳児です。
 
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