子ども好きの夫とは違い、子どもは苦手だと思っていた母。
「自分の子だったら、可愛いよ。」
こんな言葉をいくら周りにかけられても、半信半疑でした。
そして出産・・・。
毎晩遅くまで仕事をしていた生活が一変し、現実を受け止められない状態。今思うと、産後鬱の状態だったのかもしれません。未知の存在の我が子をどう扱っていいか分からず、悶々とした毎日。子どもの意思とは関係なく、とりあえずは英語のプリスクールに預け、何となく時間だけが過ぎ去る毎日でした。
2歳を過ぎ、イヤイヤ期が激しくなる我が子にもうお手上げ。
「どうすればいいのー。誰か教えてー。」
心の叫びが通じたのでしょうか。
教えてくれたのはモンテッソーリ女史でした。
子どもはすべての可能性を持ったかけがえのない存在であること。
子どもの行動には1つ1つに理由があること。
子どもには自己教育力が備わっていること。
これらを1つずつ紐解いていくと、一体今まで見えていた世界は何だったんだと思えるほど、世の中が違って見えました。子どもを見守るということが、これほどまでに美しく愛おしい時間になるとは夢にも思いませんでした。
一生に一度の幼児期。
時間が永遠にあるかのように感じられるのは、人生においてこの時期だけかもしれません。
大切なこの時期、モンテッソーリ教育と出会えたことは私たち親子にとって最大のプレゼントだったと感じています。なぜなら、幼児期は終わっても、すべては幼児期の上に成り立っていくものだからです。子どもを愛することすら上手くできなかったダメ母が、ここまで更生できたのは、モンテッソーリ教育の他ならないと感じています。
秀でたものがあるわけではない娘ですが、敢えてあげるのであれば「探求心」。何かを知りたくて知りたくてたまらない。この気持ちだけはとどまることを知りません。親が教えなくても、その環境を整えるだけで、子どもはどんどんと自己教育を繰り返す。幼児期から今まで、毎日ミラクルを見ている気がします。
幼児期にモンテッソーリ教育を選んだということ。
いつも自分の行動や決断に確信が持てない母ですが、このことだけは120%正しい決断をしたと胸を張って言えます^^
我が家のモンテッソーリな時間はまだまだ続きます(笑)。