母との口論の後の一枚。後姿からも、どこか寂しそうな様子が伺えます。
先日、授業参観がありました。生徒たちのピアニカに合わせて先生の素敵な伴奏が流れる美しい時間でした。そしてこの日、音楽の先生から保護者に家庭練習の際のアドバイスがありました。幼稚園の頃から親しんできたピアニカ。直接先生から保護者向けにお話があるのは初めてです。
娘主導で行なってきた練習が、先生の言葉に従おうと母が主導にたった瞬間、親子に衝突が起きました。いつもならすぐに収拾がつくのですが、今回はどうしても譲れなかった母。途中で、大人という特権を利用しているだけの自分にはっとしました。
顔色ひとつ変えることなしに、母の言われるがままにピアニカの練習を行う娘。その後、黙って保持教室の宿題に向かいました。そんな彼女の姿を見ながら、怒りの感情に支配されてしまった自分を心底恨みました。
家族が寝静まった後、慌てて行なったのは、モンテッソーリアンの恩師からの言葉探し。
子どもが言うことを聞かないとき、子どもの矛先は親ではない。
自分でもよく分からない感情にどう対処すれば良いのか、助けを求めているだけ。
こんな時こそが、美しい学びのチャンスなのです。
大人のように理路整然と話すことができない子どもたち。
きっと娘も、自分の感情を上手く説明することができなかったのでしょう。
いや、実際には母が説明する隙すら与えなかったのかもしれません。
恩師の言葉に触れ、少し胸のつかえが取れた母。
今晩、きちんと娘に謝ろう。
次回は、美しい学びのチャンスを無駄にしないことをここに誓います^^
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