ついに今日が今年の仕事納め。もうこの開放感を感じるために仕事をしているのではないかとすら感じます・・・(笑)。12月はお疲れ様会も兼ねてのランチアポが非常に多かった1ヶ月。その中でももっとも印象に残ったのが、日本人の同僚とのランチでした。
彼女はアメリカで大学を卒業した後、院は韓国という異色の経歴の持ち主ですが、実は日本の受験戦争を体験していたことが判明。しかも国内最高峰の大学を半年でやめ、アメリカに渡ったというこれまた異色中の異色ともいえるバックグラウンドも付随していたことを知りました。
北海道の公立高校から、怒涛の受験勉強を経て、見事現役合格。にも関わらず、自分が予想していた大学生活ではないということをすぐに感じ、進路変更を決定。2年後アイビーリーグ校へ渡ります。
ここで驚いたのは、彼女が海外へ初めて出たのが大学だったということ。ネイティブと遜色ない英語力を持ち合わせる彼女を見ていると、幼少から海外で過ごしたとしか思えなかったからです。どうやってそこまでの英語力を大学時代に身につけたのか。秘訣は中学・高校にあったと言います。
「学校で習う英語を完璧にしたこと。」
受験英語しか知らなかった彼女。でもこの受験英語があったからアメリカの大学に合格し、この受験英語があったから友人とコミュニケーションがかろうじて出来たと言います。そして日本の大学受験を経験してから、勉強する姿勢が身に付いていた。これも、アメリカで大学に進んだときに、非常に大きな力になったと言います。
受験英語は役立たないという世の風潮に対して、懐疑的だという彼女。きっと役立つと感じられるほど完璧に勉強してこなかったのではないかと言うのが彼女の意見です。日本の大学受験を経験していない母自身には憶測でしかないのですが、結局は与えられた素材をどう調理すべきなのかではないかと感じています。
そして、これはたまたまなのかもしれませんが、圧倒的な英語力を持っていると感じられる日本人の同僚は、なぜか皆、日本の大学受験経験者。そして院で海外へ出たというケース。これは決して表面的な流暢さの問題ではなく、いかに論理的に述べたり書いたりできるかいう点においてです。母自身に関して言えば、渡米する前に英語そのものを学習する時間をもっと持てば良かったと心から悔やんでいます。
幼い頃から母国語方式で英語を学んだとしても、学校英語と向き合うときが必ずやってくる娘。上手く点数とは結びつかないかもしれませんが、与えられた素材をしっかりと学ぶことも、決して無駄にはならないのだと同僚から光をもらった気がします。
そう思うと、世の中に無駄なこと自体がそもそも存在しない・・・。
最近こんな気持ちになっています。
年を取った証拠かな(笑)。