先月6歳を迎えた彼女。5歳の頃はまだ単語レベルしか書くことができなかった彼女ですが、この夏でライティングに少しエンジンがかかりました。といっても、まだまだ綴りのミスはもちろん、文法、そして中には構文自体が「そんな英語ある?」って思わず笑ってしまうものなど、それはそれは愉快です(笑)。
以前の保持教室では、ライティングの宿題の際には、保護者が教える必要はないけれど、スペリングミスは直してくることは求められていました。新たな保持教室では、宿題が終わったかどうかのチェックのみ。スペリングミスはもちろんその他部分についても一切保護者は手を入れることなしに、提出することをお願いされています。
・・・というわけで、果たしてこんなものを提出して良いのかと思えるようなライティング(笑)。
けれども、彼女の本当の学びはこの後にあることに気づきました。
それは「リライト」という作業。
前回もこのブログでも書きましたが、まさに間違いの中に宝があるのだと実感しています。
そして何よりも、原文のままの彼女のライティングは、彼女の頭の中そのもの(笑)。
どのように現段階で英語を理解し、英語を表現しているのか。
誤ったスペリングを見れば、その英語の単語が彼女にはどのように聞こえているのか。
そんなことが一目瞭然なのが彼女が生みだしたままのライティングです。
残念ながら、彼女がどのように英語が読めるようになっていったかを詳しく思い出す手立てがない我が家。英会話教室の録画レッスンはいくつか残されているものの、「軌跡」というようなものがありません。気付けば、フォニックスをある程度マスターし、サイトワードも読めるようになり、そこから一気に進んだ印象としか言えないのが現実です。
だからこそ、このライティングは足跡を残しておきたい。そう感じています。人間が二足歩行できるようになるには順序があるように、読み書きができるようになるにも順序がある。つかまり立ちを何度も繰り返してやっと立つことができるようになった赤ちゃん時代を思い出すと、この「つかまり立ち」は決して「間違い」ではなかったはずなのに、なぜか学習となると「正誤」で判断してしまう母^^;何かをマスターするためには、必ず昇るべき階段を昇らなければ辿り着かないということを肝に命じたいと思います。
いつか娘がしっかりとした足取りで、英語街道を歩けるよう、でこぼこ道をちょっぴり歩きやすくする努力をしたいと思います♡