日本語環境に感謝する | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

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前回の記事、「「必須」のバイリンガル育児、「選択」のバイリンガル育児!? 」に、とてもありがたいコメントをいただきました。

それは、英語子育て歴10年という親子英語界の大先輩リコさんより。いただいたコメントの中に、とても心染みる言葉がありました。それは、この記事に共感いただいたリコさんが残してくださった

「日本語という国語にこれだけ時間がかけられるという有り難み」

という言葉。

海外で子育てをしたことがない我が家にとっては、日本語から離れた生活環境が娘にとってどのようなものになるのか想像ができません。けれども、自分自身の経験から言うのであれば・・・。アメリカ東海岸で大学時代を過ごした当時、楽しみは週末のニュージャージーのハドソンリバーサイドにあった当時のヤオハンでの買い物でした。その中でも最も楽しみだったのは、近くにあった日本の古本屋さんに立ち寄ること。

幼い頃から海外の文化に憧れ、アメリカ留学は夢であったはずなのに、実際アメリカの地について、母にとって一番必要だったのは「日本語の活字」。5人のアメリカ人のルームメートと一軒家をシェアしていた当時、言語の不自由さがネックとなり、常に自分が自分でない気がしていました。でも、この和書と向き合っている時間は、唯一自分自身でいられる時間であり、最高の至福の時間でした。その時感じたことは、「母語があって良かった」ということ。これほどまでに心揺さぶられる言葉は、後にも先にも日本語という母語しかなく、こうしてきちんと母語を向き合う時間を作ってきてくれた両親に初めて感謝した時間でした。母語があったからこそ、手にできた卒業証書かもしれません。

環境によっては、驚くほど高度なバイリンガルに成長するケースもあるでしょう。環境がそうさせているのか、本人の努力なのか、それとも両方なのか、とにかく驚くほど両言語を自由に使いこなす同僚も少なくありません。けれども、きっとこの先少なくとも高校卒業するまでは日本がベースとなる娘においては、これほどまで高度なバイリンガルになることは、今の環境では至難の技だと分かっている以上、できないことを嘆くのではなく、できることに感謝する。

まさに、リコさんの残して下さった「日本語という国語にこれだけ時間がかけられるという有り難み」に感謝したいと強く思うのでした。日本語環境に感謝する気持ちが生まれると、英語があまり上手くいかないときでも、不思議と悲観することがなくなるんですよね。娘が和書ばかりを手に取る時、日本語ばかりでお喋りしたい時、そんな時は「日本語が成長している時期」なのだと思います。でも、きっといつかまた英語の波もやってくる!そんな浮き沈みを何回も経験しているだけに、最近は動じなくなりました(笑)。

だからこそ、日本語であれ、英語であれ、じっくりと時間をかけて成長していくこの一瞬一瞬が貴重であり、美しい時間なのだと心から感じます。

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先週は娘が待ちに待っていたアメリカ人のお友達たちと一緒に参加できるサマーキャンプでしたが、ヘルパンギーナから手足口病でまさかの不参加(涙)。1回も行けず、これには涙する6歳でした^^;そして、ついに週末から手足口病が母を襲い・・・。もう痛痒さの我慢大会です。メッセージを頂いている皆さま、お返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。数日中には、すべてお返ししますので、もう少し待っていてくださいね。

親子で不運に見舞われた8月中旬。
オリンピックにちなんでか娘が作ってくれた「かぞくのおまもり」はゴールドです(笑)。

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