日々のおしごとについても記録しておきたいことが溜まっているものの、今日も回想記録を綴ってみたいと思います。2歳後半でモンテッソーリ教育と出会いスタートした我が家のホームモンテッソーリ。3歳半ばまでは暗黒時代の繰り返しでした。
■問われるのは親の忍耐力
あまりにも上手くいかないことだらけで、途中モンテッソーリの子育て自体から完全に離れてしまった時期もあった当時。今思うとあの頃は、確実に親の忍耐力を問われた時期だったのだと感じます(笑)。
当然のことながら、ギブアップしてしまえば、そこで終了。けれども、なんとか続けられたからこそ、今がある。そんな風に思っています。
■提示通りに出来ない我が子
当時、母を最も苦しめていたのは、提示をしても娘が何一つ提示通りにやらないこと。全く自己流のやり方を見るたびに母はイライラが募り、どうして我が子はこんなに出来ないのだろうと落ち込んだものでした。そして、それと同時に生まれてきたのがモンテッソーリ教育への懐疑心。一体どうしてこの通りに子どもにやらせなければいけないのだろう。果たしてこれは、娘を型にはめようとしているだけなのではないか。
今当時を振り返ると、まず第一の問題は、自分がモンテッソーリ教育そのものについて理解が出来ていなかったと感じます。あの頃は全く気づくことが出来なかったのですが、娘は自分がやりたいことを教えてくれていたのだと思います。母がさせたかったことと、娘自身がやりたかったこと、そして必要だったこと。そこに食い違いが生じていただけ。けれども、当時の母は3歳児からのメッセージを受け取ることが出来ませんでした。
どこか半強制のような形になってしまい、そのようなやり方をしているのは自分自身なのに、完全コピーを子どもに求めるモンテッソーリ教育は果たして自分が求めているものなのか。そんな気持ちにすらなってしまった当時。自分の勝手な解釈で、自分自身に誤解を与えてしまったあの時期。ただただ悪循環な日々が続きました。
■子どもの正常化の前に必要なもの
そんな時期に、母の支えとなったのは、モンテッソーリ園に通うお友達たちの存在。日々、真のモンテッソーリアンの先生方に導かれ、正常化のプロセスを辿っていく様子を聞くたびに、もっと自分自身がこの教育法の学びを深めなければならないと感じ始めました。そして、娘の正常化を望むのであれば、自分自身が正常化しなければならないと初めて痛感しました。
あれから約3年という月日が経つにも関わらず、未だに課題なのがこの自分自身の正常化。ここをクリアー出来ないと、娘をどこにも導くことが出来ないと日々感じています。まだまだ課題だらけの我が家ですが、唯一当時と変わったのは、この課題を楽しめるようになったこと。上手くいかない日があるから、上手くいく日もある。だから、どっちも大事だと思えるようになったことが唯一成長した部分かもしれません^^;
上手くいかないからこそ、面白い。
そんな部分も引っくるめて、モンテッソーリから様々なことを教えていただいている日々です。
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