「焦り」というキーワード | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

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コメントやメッセージをいただく中で、たまに目にする言葉があります。

それは「焦り」というキーワード。

子どもの敏感期を逃してしまわないかと焦ってしまう。
モンテッソーリ教育を知ったのが遅くて、焦ってしまう。
なかなか思うように学習できなくて、焦ってしまう。


「焦りは禁物」とお返事しながらも、誰よりも焦っているのは自分ではないかと感じることがあります(T^T)゚。

先日の教師養成講座で講師から受講生に向けたこんな一言。

このメソッドを知れば知るほど、モンテッソーリ教育が非常に実践しやすくなってくる。
なぜなら、子どもが必要なことを自ら教えてくれるようになるから。

確かに、そう感じる部分もあります。以前は全く何の敏感期かも分からない、だから用意したおしごとはとことん振られ、無理やりやらせるような展開になりそうな場面も幾度もありました。けれども、最近は子どもの年齢的な成長も手伝ってか、おしごとに関して振られることはなくなりました。そういった意味では、『娘が必要なものを分かってきた=娘が教えてくれている』状態なのだと思います。

けれども、相変わらずこの膨大すぎるそれぞれの概念が重くのしかかり、学習すればするほど出口が見えないそんな状況に陥ることもあります。実際は出口を探しているのではなく、全体像を把握したい。でも、それぞれのピースが密接な関わりがあるこの教育法の全体像を掴むことは、非常に難しく、いつになったら見えるようになるのか。

講師の意図する言葉の意味を100%受け止めながらも、この想いを吐露するしかありませんでした。こんな風に感じてしまう自分自身が焦りすぎているだけなのか・・・。

モンテッソーリ教育は何層にもなっていて
なかなか概要が掴めないというのは事実かもしれない。
でも、これは家を建てるのと同じこと。
一つの部分ごとに組み立てていき、半分くらいまでいかないと
どんな家になるのかはよく見えない。
本当に価値あることは、そんなに早く学べないもの。
問題は焦っているかどうかではなく、
自分が成長していることに気付いているかどうか。


モンテッソーリ教育とはライフレッスンであると感じます。元々は子育ての助けになればと、軽い気持ちで向き合い始めた教育法。けれども、この3年という時間の中で、当初知っていたモンテッソーリ教育とは全く違う場所に位置することに気付き始めました。早期教育はもとより、幼児教育という言葉ですら、違和感を覚えてしまうのも、こんなところに理由があるのかもしれません。モンテッソーリアンである講師陣との出会いの数々が、娘と母の新たな人生を切り開いてくれている・・・そう感じずにはいられません。

きっと長い人生、心から恩師と呼べる方との出会いはそう頻繁にあるわけではないでしょう。でも、モンテッソーリ女史、そして女史の精神を受け継ぐモンテッソーリアンの講師陣は間違いなく恩師です。

「自分が成長していることに気付いているかどうか。」
海を越えて届いたこのメッセージが、いつまでも心の中で木霊し続けるよう、ゆっくりでも成長できる自分でありたいと思います。

■姉妹ブログ「Yuzyな日々~今日も楽しく親子英語」

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