モンテッソーリ教育とスペシャルニーズ | モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

モンテッソーリな時間~バイリンガルに魅せられて~

中2の娘とワーキングママによる2歳からのホームモンテッソーリとバイリンガル育児の足跡を綴っています。

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勤務先の大学には、様々なスペシャルニーズを抱える人たちがいます。これは学生だけでなく、教える側も同じです。そのためにこれらのニーズに対する正しい理解がなされているか、きちんと適応できる施設、資源があるか、その都度見直しを行っています。それでも、まだまだ山積みの課題。先日は専門家を海外からお招きし、1週間の研修を受けました。知れば知るほど、もっと学習しなければならない部分が多く、これは公私に渡り、もっと学びを深めたいと感じている部分です。

モンテッソーリ教育がこのようなニーズを抱える子どもたちの教育法として出発したことは、母にとって見逃すことの出来ない要素でした。その後、健常児と言われる子ども達への適用も始まったわけですが、何よりも着目したのは、この教育法がすべての子どもに平等に供与された点。スペシャルニーズの子ども達への教育が原点といっても、その対象は「ニーズ」の部分ではなく、「子ども」であったというこの基盤に、大きな意義を見出すことができると感じています。

こちらの書籍にこんな言葉があります。

「混合年齢集団によるモンテッソーリの縦割原理は障がい児の統合保育に生かすことができます。」

現場のためのモンテッソーリ障害児教育
現場のためのモンテッソーリ障害児教育

以前モンテッソーリのインクルージョンのスクール(統合保育)の先生のインタビューを聞いた際に、こんな言葉がありました。

"Capacity leads to responsibility."

誰かと競うことが求められないモンテッソーリ教育。子ども達の発達の速度が一定ではないことを前提に行われているこの究極のオーダーメイド教育では、誰かが何かできるようになると、それは決して傲慢につながるのではなく、責任につながる。周りが出来ないことを自分が自ら助けてあげる。そんな雰囲気が、モンテッソーリの教室にはいつも流れていると言います。

もしお手伝いが必要な子どもがいたら、お手伝いできる子が進んで行う。それは、お手伝いをしてもらった子だけではなくお手伝いをしてあげた子の成長へも繋がるのでしょう。

子どもは皆自ら成長していこうとする力を持っているといいます。その力は、もちろん一定ではなく、発達過程は様々です。尊敬してやまない国際モンテッソーリ協会(AMI)教師養成トレーナーの松本静子先生も著書の中でこう述べています。

「それぞれ違う環境に育ち、経験することも異なります。さまざまな生育の要因から考えてみても、心身の発達は年齢でひとくくりにできません。」

よろこびの中に生きるモンテッソーリ教育
よろこびの中に生きるモンテッソーリ教育

こう考えると、スペシャルニーズという言葉すら必要ない気がしています。人間はそれぞれ皆ニーズを抱えていて、その程度の差こそあっても、それは個性。皆違うから、そこには思いやりや協調といったことが生まれてくるのでしょう。

子どもは皆生まれながらにして、生きるための生命衝動を持っているというモンテッソーリ。成長したいという自らの欲求を大人がそっと見守り、子どもが必要な時に適切な援助をしていくことで、子どもがもう一つ高い次元へといくことができるのであれば、それこそが親としての生きる道なのだと感じます。

子どもの持つ力に毎日驚かされながら、それを見守ることのできるこの喜び。
噛みしめることを忘れずにいたいと思います^^

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