我が家の4歳児。
クリエイティブなおしごとは喜んでやりますが、なかなか自分から算数のおしごとを選ぼうとはしません。
数の敏感期でないのではないか?
そう思ったのですが、数えることも大好きだし、数字そのものも大好き。
だとしたらなぜ?
母の算数教育の提示が魅力的なものになっていないのだと思います。
■算数教育の系統性を意識しすぎるあまり・・・
日常生活の練習や感覚教育とは異なり、系統性が強いのが算数教育の特徴。ある一つの概念を習得し、初めて次に進めるといわれているこの系統性を意識するあまり、なかなか次に進めずにいました。
果たして概念の習得とは、どこを以って「習得」と言うのだろうか。
もし娘が乗り気でないのなら、果たして今これをやる必要はあるのだろうか。
様々な思いが交錯し、娘をもう一度観察したり、教師養成講座のマニュアルや資料を読み直したり、モンテッソーリアンの先生方に相談させていただいたり・・・。
その結果、原因はやはり自分にあったのだと再認識しました。
どこか、知的教育分野である算数教育の場合、母自身が身構えてしまい、算数教育の楽しさを娘に伝えきれていなかった・・・。そんな気がしました。
もう少し楽な気持ちで、そして自分自身が魅了されているこれらの楽しさを、娘にありのまま伝えていきたい。提示の未熟さよりも、気持ちが大事であると気付きました。
「オーダーメイド教育」と言いながら、系統図が存在する算数教育は、どこかガチガチにカリキュラムに捉われ、完璧にマスターすることを求め、モンテッソーリ教育と相反する方法で進めようとする自分がいたのかもしれません。
■モンテッソーリ教育における「マスター」とは?
以前、教師養成講座で「マスターする」とはどういうことか議論されたことがありました。
当時の講師の回答では、「マスターとは、何度も繰り返し、自分のものにしていくこと。決して完璧を求めているのではなく、土台がしっかりとしていること。学びとは、いつも繰り返しの中で行なわれていく。」
だからこそ、子どもたちは母親である自分から見ると一見マスターしたかと思える活動も、もう一度戻ったりしながら、基礎を築き上げていっているのだと感じました。
スタートとゴールを決めているのは親の方で、実は子どもにはゴールなんて存在しない。常に、学び続けていくのが、自然の定めたプログラムなのかもしれません。
なかなか上手く進められない算数教育に頭を悩ませていましたが、少し光が差し込んできました。
娘の数の敏感期を上手にリードできるよう、母ももう一歩踏み出したいと思います。
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