今まで数々の書籍や通信講座を通じてモンテッソーリ教育に触れてきた母。この教育法と出会って、2年という月日しか経っていない今、まだまだ知らない側面だらけ。果たして全体の1割も理解できたかどうか分かりません。
これらのピースがすべてはまる日が、いつかは来れば良いなとは思っていますが、今の段階ではまったくもって遠い状態。けれども、その都度心に響く言葉だったり、決して忘れてはならないこと、ずっとずっと心にしまっておきたいことが、山のようにあります。
その一つは、教師養成講座にて触れたこちらの言葉。
「自由とは自分にとって正しいことを選ぶこと」
モンテッソーリ教育の「規律の中の自由」という概念が、自分の中で上手く消化できず、何度も講師とメールのやりとりを繰り返し、娘の観察をし、そして自分自身も振り返り・・・。そんな過程の中で、出会ったのがこの言葉でした。
大人にとっては、寝る前の歯磨きも、夜中の暴食も、朝の寝坊もしちゃいけないことだと分かっている。でも実際には「する」という選択もある。ただもし、寝る前の歯磨きを怠れば、虫歯になることは目に見えているし、夜中に暴食をすれば、体に悪いことも分かっている。朝寝坊をすれば、幼稚園の送迎や仕事に遅れてしまう。
結局ルールなしには、私たちは何も選択することができない。自由なんて本当はない。自由と責任は常に隣り合わせ。モンテッソーリの言葉を借りれば、規律の中の自由ってそういうことなんだと理解できた瞬間でした。
大人には、自由を選択するにあたり、見えている結果も、子どもにはまだ分からない。だからこそ、子どもは社会を通じて、学校生活を通じて、家庭生活を通じて、一つずつ学んでいくのだと思います。
この「学ぶ」ということについて。
講師は「大人の役割は、この学びを子どもにとって、如何に魅力的なものにし、容易なものにするか」これは、私たち自身にかかっているといいます。学ぶために必要なツールを与えるのが私たち大人の役目。学校での学習も一つのツール、ホームモンテッソーリもこれまた別のツール。この引き出しを大人が充実させておくことで、子どもの知的好奇心の満足度は変わってくるのだと思います。
もし、制限もルールもなしに、自分の好きなことだけをやっていいとしたら!?
きっと今の母だったら仕事も休み、家事も放棄して、ひたすらモンテッソーリ教育の書籍を読み漁るかもしれません。
社会も家庭も無視し、好きなことだけに没頭する。
これは、もちろん正しいことではありません。
「自由とは自分にとって正しいことを選ぶこと。」
しっかりと心に刻んでおきたいと思います^^;
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