石田梅岩に学ぶ商人道。 

目次

 はじめに,

石田梅岩に学ぶ商人道。 

1,45歳にして立つ

2.商人の役割を肯定
3.売利を得るは、商人の道なり

4.仁・義・礼・智の心が信を生む。

5.真の商人はさきも立ち、われも立つことを思うなり

6.倹約と正直が、商いの原点。
7,現在に生きる石田梅岩。

8,『職分の追及』で仕事の本質を極める。

 

 

 

 

 

石田梅岩に学ぶ商人道。 

 

 はじめに

どのような時代でも繁盛するお店はあります。繁盛しないお店には繁盛しない理由があるように、繁盛するお店には繁盛する理由があります。

 

繁盛するお店は、「商人道」に基づいた経営を行っています。では「商人道」とは何でしょうか? 

 

「商人道」とは、石田梅岩(石門理念(心学)の祖。=享保年間(1685~1744年)が起したもので、日本的経営の源流と言われ、現在のような飽和状態の経済下では、差別化の訴求力として特に注目されています。

 

石門理念は江戸中期から幕末に至るまでの150年間、日本全国の商人の心を支えています。

 

   ここで、石田梅岩・(石門心学)の理解を深めるために、次の一説を紹介します。富士銀行頭取、ドイツ証券会長の橋本徹氏の新聞記事です。

「日本・揺れる経営、拝金主義との決別を」のテーマで、「石田梅岩の商人道」を取り上げていました。

以下が橋本氏の新聞紙面の説です。

目を見開かされた書籍がある。それは、江戸中期に武士道ならぬ「商人道」を説いた石田梅岩に関する本だ。何か所にも傍線を引いて読み込んだ。

「真の商人は顧客を立て、自分も立つことを考える、商人が正しい道を知らないと、世間に許されない金儲けをしてしまい破綻に陥る」ということである。

私どもの経営の支柱となっているのが、まさしく「石田梅岩の商人道」です。今日は特集として、石田梅岩の石門心学について記します。  

 

(1),45歳にして立つ

「士農工商」の封建社会にあって、広く「商いの基本」を説き、商人道の開祖ともいわれているのが石田梅岩です。梅岩は江戸時代中期の貞享二(一六八五)年、現在の亀岡市(京都府)の農家に生まれました。

梅岩は子どもの頃から律儀でまじめな人だったらしく、奉公先のおばあさんから「たまには外に出かけてみたら」と夜遊びをすすめられたエピソードなどが残されています。

梅岩は十一歳の頃から京都の呉服屋へ奉公に出されますが、仕事のかたわらで、自分とは何か。人間はいかに生きるべきかを真剣に考えるようになります。

早朝から窓辺に向かっては書物を読み、夜も、みんなが寝静まった後に勉学にいそしむなどして、ついに京都・車屋町の借家に念願の講座を開いています。

梅岩四十五歳のことだったといいます。

 

 

2.商人の役割を肯定
 梅岩の教えは「石門心学」と呼ばれています。

儒教や仏教、日本古来の神道の思想を取り入れたもので、当時は憎(にくむ)むべきものとされていた商人の営利活動を積極的に認め、勤勉と倹約を奨励しています。 

 彼のこうしたポジティブな考え方が、先取の気概にあふれた京都の町民に広く受け入れられています。

 「聴講料無料、女性もどうぞ」。これは梅岩が掲げた開講のお知らせです。

梅岩の分け隔てない講座はいつも大盛況で、ある日出席者がたった一人ということがありました。

 その受講生は恐れいって帰ろうとしたが、梅岩はそれを押しとどめ、「私はただ机に向かって講義することもある。君一人がいれば十分だよ」と平然と講義を始めたといいます。
 この正直でひたむきさこそ、石門心学の原点といえるものです。

梅岩は代表作である、「都鄙(とひ)問答」・「倹約斉家論」を著してのち、六十歳で亡くなりますが、そのスピリットは多くの弟子へと受け継がれ、三百年以上を経た今なお、日本の商法の中に生かされています。

今こそ、先人の教えから商道の原点に立ち返り、「商人道」取に徹した経営に取組む時です。

 

 

3.売利を得るは、商人の道なり

石田梅岩が「都鄙(とひ)問答」を著したのは、元文4(1739)年のこと。元禄バブルが崩壊して有力商人が相次いで追放・財産没収の憂き目にあった大変に厳しい時代です。

そのような時代に商人としての王道が生れています。商人の営利活動を憎む風潮の中、梅岩は「商人の売買は天の助け」「商人が利益を得るのは、武士が禄をもらうのと同じ」と述べて、商行為の正当性を説いたのです。
 

しかし、梅岩は商人が一方的に金儲けすることを奨励したわけではありません。

過去の教訓から「商人は二重の利を取り、甘き毒を喰らい、自ら死するようなことをしてはならない」とたしなめ、商道の本質である「勤勉・誠実・正直」の精神に立ち返ろうと呼びかけています。

 

 余談になりますが、「一方的に金儲けすることを奨励する経営体」が、現在でも実在するのも事実です。

数年前になりますが、ある企業に務める社員さんから、その会社が社員に徹底させている文面を見て、この事実を知りました。

このような経営体は確実に滅びます。これは「法則」です。

商人の道徳的観念にまで踏み込んで解説を加えたのは梅岩が初めてのことで、彼の教えが「心学」と呼ばれる所以です。 

4.仁・義・礼・智の心が信を生む。

  梅岩は商人の心得として、

●「仁(他人を思いやる)」、

●「義(人としての正しい心)」、

●「礼(相手を敬う心)」、

●「智(知恵を商品に生かす心)」。

以上の四つの心を備えれば、お客の信用・信頼を得て、商売は繁盛するのだと説いています。

また、「勤勉に励む心(労働と努力の価値)の重要性を説いています。

「商人は商人らしく、ただひたむきに仕事に執心することが人格形成に繋がるのであり、決して目先の利益や、ひと時の我欲に惑わされてはならない」と説いています。

そして梅岩は、商人としての心のとらえ方を、「あるべき」ではなく、「~らしく」という言葉で表現し、商人の職業道徳の指針を明確にしています。

この「~らしく」という言葉こそが、ビジネスにとって最も重視すべきテーマと考えます。

では、ヘアビジネスにとっての「~らしく」とはどのようなことか。即ち、「営業約款」に掲げる『三つのS』の徹底です。

即ち、理美容業の「本質的商品」であるところの、

◎「まかせて安心」

◎「確かな技術」

◎「美しく清潔に」

以上の三つの徹底です。

 

 

5.真の商人はさきも立ち、

われも立つことを思うなり
 

  「都鄙(とひ)問答」の中で、「我が儲かり、さき(お客)が損をするというのは本当の商いではない」 と説いています。

 

つまり、お客に喜んで納得して買ってもらおうとする心を持つことが大切ということです。

お客に喜んで納得して求めて頂こうとする心を持ち、品物(商品)には常に心を込めて気を配り、売買することで経済原則に相応しい適正利潤を得るようにすれば、「福を得て、万人の心を案ずることができる」と梅岩は断言しています。
  心学を経営の理念にした企業も数多くあります。

◎ 経営の神様といわれた松下幸之助氏は、「一生懸命に仕事をしたあとに、利益がついてくる」が口ぐせでした。

「頑張って仕事に励んでこそ、その結果として利益が生み出されるのであって、成果を求め仕事をするのではない」と説き、商人の基本的な心の在り方を示しています。

◎ 大丸の創業者である下村翁も「先義後利」という格言を残しております。

◎ 日本の商業が近代化できた理由について、カリフォルニア大・バークレー校のロバート・ベラー名誉教授(80歳)は、梅岩の教えが下地になったと唱えています。

◎  約150年前に紙問屋として創業した情報処理会社イセトー(京都市)の5代目社長、小谷達雄氏は、

 

 

「お客(取引先)との信頼関係を代々重視し、行き過ぎた営業は慎むよう社員には常々言ってきた」と話しています

このように大多数の企業が、「経営には倫理的・道徳的目的があるとい考え方は、今も日本に生きている」と分析できます。

お客志向・顧客の目線での商売の大切さの認識こそが、繁盛するための基本的と言えます。

ともすれば目先の利益にとらわれがちですが、自分だけでなく、お客様にも満足してもらおうという共感的な仕事観は、現代の私たちこそ大いに学ぶべきことです。

 

6.倹約と正直が、商いの原点。
   梅岩の掲げた心学の中心となるのが「倹約」と「正直」で 

  す。

梅岩は「万物を効果的に用いること」が大切だと述べ、「物事の無駄を省く努力をすれば、すべてに余裕が生まれる」と倹約の大切さを訴えています。

これは、限られた最少の費用や時間で最大の効果をあげる商行為の原則を指摘したもので、これを商人道の原点として、「万事、物の法に随うこと」と教えました。 

梅岩はさらに、「正しい商売をするには、まず正しい心を持たなければならない」と述べています。

つまり、「公私混同の経済観念の排除・顧客を上座におく精神の姿勢を基にして、正直な心を修養すれば、おのずとお客様の信頼をかちとることができるものである」と説いています。

商いの原点は、一時的な安売りや小手先のサービスではなく、「私心のない真っすぐな心」ということです。


 梅岩の教えは心学でありながら、誰もが実践できる解かり易い理論であったため、その後、全国の商人の精神的な支えになりました。

現代は倹約よりもケチ、正直よりも駆引きの風潮が見える時代ですが、いまこそ初心に立ち返って、先哲に学ぶべき時が来ています。商人道は、まさしく商いの王道と言えます。

                                                   

 

   7,現在に生きる石田梅岩

 石田梅岩の教えは非常に先見性があり、今なお日本の商道徳の支柱を成しています。

石田梅岩は江戸時代の前中期を生きた人で、その時代は元禄バブルと言われ非常に華やかな時代です。

やがて元禄バブルは崩壊し、その立て直しを行うために「享保の改革」が行われました。

今の状況に置き換えれば、「元禄バブル崩壊→リーマンショック」・「享保の改革→アベノミクス」という感じでしょうか。

  そんな時代に石田梅岩は45歳になり、自宅で無料講座を開き多くの人に「商いの心得」や「人の生き方」を説きました。それが後々「石門心学」として体系づけられることになります。

石門心学の祖・石田梅岩が遺した「商人道」は、多くの老舗や企業に影響を与えていますが、「松下幸之助」や「稲盛和夫」などの偉大な経営者も大きな影響を受けています。

石田梅岩の代表的な著書である「都鄙(とひ)問答」の中に有名な一言があります。

「真の商人は先も立ち、我も立つことを思うなり」とあります。

これを今風に訳すると「本物の経営者は先ずお客様に満足してもらうことを考え、その報酬として対価を頂くことを考える」ということです。

ここが大事で、「先ずは顧客に喜んでもらうこと」を考えるべきです。「自分が儲けることばかりを考えているのは本物の経営ではない」との教えです。

  この考えの根本には、「富の主は天下の人々である。その人たちの心を理解してビジネスをすれば、どんな時代でも繁栄する」という考えがあります。

これと同じ考え方を、「ピーター・F・ドラッカー」が説いています。

つまり、「事業の主役は顧客である。顧客が事業の土台であり事業の存在を支える。顧客だけが需要を創出するものである」と説きます。

即ち、石田梅岩はドラッカーよりも250年も前に経営の本質を理解していたことになります。

石田梅岩は「顧客の心を理解し満足させることがビジネスの本質」と説き、そうすれば、どんな時代でもビジネスは成功するということです。

 

 

 

8, 『職分の追及』で、

仕事の本質を極める。

老舗経営の極意の一つである、「職分の追及」という考え方があります。職分の追及とは、その「職業の本分」を極めることを指します。

学生の本分が勉強であるように、それぞれの職業に於いて必ず本分があります。つまり、「理美容業の本分は何か。本質的なことは何か」を追及し、実践しなければならないと言うことです。

では、理美容業の「本分は何か・本質は何か」について考察してみましょう。先ず、理美容業の「本質的な商品とは何か」。それは理容業営業約款に掲げる以下の三つです。

「確かな技術・「任せて安心」・「清潔衛生」。これを私の独断で理美容業に於ける「本質的商品」でと位置づけています。

つまり、以上の三つのことについて、どのようにして「顧客に満足して頂くか」。ここを追求することが、即ち 『職分の追及』であり「仕事の本質を極める」ということになります。   

             終