どうせ解体するのにへの違和感 | 注文の多い蕎麦店

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先日能登での災害ボランティアの活動中にですね。
解体が決まってる母屋から災害ゴミを運び出す作業をしてたんですが。
チームのうちの一人が

どうせ解体するんだったら運び出す必要ないんじゃねえの?

って言うわけですよ。


確かに冷静に考えてみたらわざわざ中の物を運び出して
ゴミ置き場まで運ばなくても。
物を置いたまま重機で解体してしまったほうが効率が良さそうな気はするんですが。
なんか僕はそれに違和感を感じたし
住民の方が運んでほしいとお願いされてるんだから。

家の人が運んでって言ってるし運びましょう

って指示を出したんですけどね。
どうもその人は腑に落ちないようで
小首を傾げながら作業を続けてはりました。


 

後から僕思ったんですけど。


たとえもう使わないと分かっててもそれらの災害ゴミは
住民の方が何年何十年と使い続けてきた愛着ある物だったと思うんですよね。
 

それを壊れた家の中に置き去りにしたまま
丸ごと重機で撤去して攫えてしまうのは。
その家の歴史を一瞬でゴミ箱に放り投げてしまうようで
なんか切なすぎると思うんですよね。


だからこそ家の人は手間と解ってはいても一つ一つ人力で運び出して
家と家族の歴史をゆっくり整理しながら片づけていきたかったんじゃないでしょうか。

なのであの時の僕の判断は絶対に間違ってなかったと思います。
そしてこれからもたとえ効率が悪くとも住民の方の要望を100%受け止めて
支援をし続けたいと考えてます。

あの時あの場でそういう感情に気づけてたら
どうせ解体するのにって言ってた人にも理解できるように説得できてたんですけどね。
なんせ元がバカなもんで理解力や読解力に時間がかかるのです。
ただしそれゆえに軽率で浮薄な勇み足も制御できるという利点もありますが照れ