人のいなくなった珠洲の未来は | 注文の多い蕎麦店

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朝一で墓参り。

 


 

おじちゃんがクレーンを使ってちょっとずつ直してます。

こっちはまだ朝は寒い。


 

今日はどうにか天気良さそうな気配。

 


 

少しずつ前に進んでる・・・


 

ような気がする・・・と言い聞かせる。


 

自衛隊も撤収して静かな能登の朝です。

 

 

能登空港に朝7時20分集合なので急いで弁当づくり。


 

そしていざ能登空港へ。


 

珠洲道路を走るのはあの元旦以来です。

確かこのあたりで行き止まりだった。


 

本震があったのはこのへん。


 

なんとも言えない寒気が襲ってくる。


 

あのとき一晩明かした能登空港の駐車場。


 

あの不安と恐怖が今も肌に染み付いている。


 

再開した能登空港。


 

日本航空能登高校。

 


 

ここにベースキャンプが設置されたので今後能登町や珠洲への支援はここが拠点になります。


 

今回能登空港発珠洲へのボランティアは25名。


 

エントリー初日で満員になってたのでまだまだ皆の感心は残っている。
今のうちにがんがん片付けていきたいですね。


 

昨日のチームは大阪の守口に八尾、福島の磐城、岐阜の高山、神奈川の伊勢原と

全国あちこちからの寄せ集めチームで。


 

午前中は飯田の民家から大型冷蔵庫やタンス、電動介護ベッドの運び出しと力仕事。


 

そしてもう一軒はずれた仏壇を元通りにと簡単な作業。


 

珠洲は元々他地域に避難した人が多いのか依頼自体が少ない。
津波に浸かったとこや大きく崩れたところとかはもう住民自体住んでないということなのでしょう。


 

結構長めの昼休憩の後

 


 

午後一発目は正院で布団とふすまの運び出し。

 


 

ここ普通の民家ですが


 

どんだけ布団あんねん笑


 

やっぱり正院はひどい。


 

ボランティアよりも公費の解体を待つしかないというのが現状。

 


 

 

火曜日は災害ゴミの受け入れは蛸島の一か所だけでした。

 

 

ここで家具や建材コンクリートなど細かな分別が必要になります。

 

 

また珠洲の社協に戻って長い休憩の後。

 

山梨北杜市からのトイレトレーラーが。

みんなでもやい結びの練習。

 

 

二軒目は蛸島で崩れたブロック壁の撤去。

 


 

場所特定に時間がかかってしまい最後はもうバタバタ。
なんせ珠洲も夕方3時にゴミ収集所が閉まってしまうので。

帰りは一気に人が増えました。

 


 

能登空港発着25名に加えて金沢発着の50人も集まってるので。
もしかしたら住民の数より多いかも。

後はまたバスに乗り込んで能登空港まで。

 


 

ほんと飯田まで直接来られたら往復で3時間ほど節約できるんですけどね。

それにしても平日とは言えボランティアの数に比して依頼件数の方が圧倒的に少なすぎるような。

珠洲もこれから水道が復旧すれば住民の人も戻って来ると思うので。
そうすればまた需要も増えて来るんじゃないでしょうか。

それまで世間の熱が保てるかどうが問題ですけど。

ちょっとだけ時間あったので柳田村から町野経由で輪島の曽々木まで。


 

やっぱりこっちもひどい。


 

 

どうにか外浦までたどり着いて

 


 

窓岩ポケットパーク。


 

と言っても地震で窓がなくなってた


 

そして垂水の滝。


 

この先はもう行けませんでした。

 

Uターンして南の方へ。

 

 

 

ここから柳田村のほうへ戻る道路はまだ手付かず。

 

 

どうにか車が通れるようにはなってますがちょっとたいへん。

 


 

まだまだ能登の復興はこれから。

 

 

家の片づけをしてたら使ってない輪島塗のお椀一式が出てきたとのことで。

打ちに持って帰って使ってみます。

 

 

何と大正時代の作品です。

 

 

今日は災害ボランティア2日目。
出来得るだけの支援をしてきたいですね行ってきます照れ