小さい頃の外食の記憶 | 注文の多い蕎麦店

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子供の頃の外食の記憶と言えば
たまの日曜日に家族で出かける地元のファミレスの走りみたいなところとか
王将のような大衆中華であったり。


記念日なんかのちょっとした贅沢だと
中国人が本場の料理を提供する高級中華とか
焼肉屋といった感じだったと思うのですが。

今ではもうその時何を食べただとかどんな味だったとかは
まるで記憶にはないですよね。
ただその中でも一番記憶に結び付いて離れないのは

父親と二人で行った屋台のラーメン

かもしれません。
と言ってもめちゃくちゃ美味しかったっていう記憶じゃないんですよね。
麺はたぶん乾麺のストレートで
出汁も醤油と化調が主張した凡庸な味だったと思います。

それでもその時の外食が一番心を離れないのは

何を食べたかではなく誰と食べたか

だからと思うんですね。


確かその時は夏休み中の僕の少年野球の試合の帰りで
母と兄は別行動で先に能登に帰省してたんじゃないかと。

で僕の付き添いに残った父親が家で食べるのもなんだしと
選んだのが

どこにでもあるような汚い屋台のラーメン屋

だったんですね。


今考えると父親はたまに帰りが遅くなったときとかを口実にして

遅くなったし今日は外で食べて帰るわ。

とその屋台でラーメンすすってたんじゃないでしょうか。

ほんと大して美味しくはなかったと思うんですけどね。
でもねなんかそこ

めっちゃ居心地が良かった

んですよね。


それが父親と一緒だったからかその屋台の雰囲気のなせる業だったのかは
今となっては永遠に解らないのですが。

やっぱり誰かと一緒に(特に好きな人と)食べるご飯は
数字では表せない栄養源となって心を満たすもんだな。

となぜか不意に思い出した夏の終わりを感じさせる夜の寂しい一人食事でした笑

 

今日明日のサラダの鮮魚はお盆明けでどうにか手の届く値段だったので

 

 

久々の若狭ぐじ(赤甘鯛)です。

と言うか台風の名残でぐじしか水揚げなかった。

 

身が非常に軟らかく皮目に旨味があるので

昆布締めにしてから焼き霜造りで提供します。

 

さあ誰と一緒に食べようかニコニコ