銃を手に取り戦う女性たち | 注文の多い蕎麦店

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先日「バハールの涙」というフランス映画を観たのですが。
この映画の主人公バハールはIS(イスラム国)と戦うクルド人女性。

クルド民族の女性たちが兵士になってISと前線で戦っていた。
というのはずっと前から報道で知っていたのですが。
なぜそこまでして戦うことを選ぶ?
ということまでは深い知識がなかったんですね。

じゃあそもそもこのクルド民族というのがどういう立場にあるのか説明すると。
もともとクルド人は第一次世界大戦まではオスマントルコ帝国を構成する一民族として存在し
現在でもおよそ3000万人ほどの規模を誇る一大勢力です(オーストラリアの2400万人より多い)

ところがこの大戦での敗北によってクルド人が居住していた地域は
英米仏を中心とした連合国の主導により建国されたトルコ、イラン、イラク、シリアとバラバラに引き裂かれてしまうことになります。
もちろんその背景にはクルドという一大勢力を分割することにより抵抗力を削いでしまっておこう。
という連合国側の画策があったのには違いないのですが
それぞれの国に引き裂かれてしまったクルド人たちは新領主からの迫害にもめげず
常にクルド民族の独立を目標として民族団結を図りながら生活していたところへ・・・

ISが侵攻してきた。

というのが背景なんですね。
クルド人自治区に侵攻してきたISは女性や子供を拉致して性奴隷や少年兵として教育しようとするのですが
隙を見て逃げ出したクルドの女性たちが今度は自らが武器を取り。

クルド民族の土地と誇りと女性の権利と自由を守るためにISによる侵攻の前線に立って
土地と自由を奪い返すために戦った。
という経緯です。

こういう背景を考えるとそもそもの問題はクルド民族が大国の利権争いによって引き裂かれてしまったことにあるのであって。
インドとパキスタンが宗教を利用して大国の思惑で分割されてしまったことや
北朝鮮と韓国が大国の陣取り合戦で分割されてしまったのと同じで。

国境という無意味な線さえなければ女性や子供たちが武器を持たなければならない。
なんていう悲しい現実は存在しなかったことになります。

この映画のラストでISから領地を奪い返したバハールは
銃を掲げて勝利をアピールするのですが。
その勇ましいポーズとは裏腹に疲労感と無力感の漂う表情がこの戦闘の虚しさの全てを物語っていて
なんとも言いようのない虚脱感に襲われてしまいました。

果たしてこの無益な争いの連鎖を断ち切るためには一体何が必要なのだろうか?
確かに言えるのはそれが銃や金ではないことだけは信じていきたいですねショボーン