吃りは褒め殺しで改善する | 注文の多い蕎麦店

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先日「志野ちゃんは自分の名前が言えない」という解りやすいタイトルの映画を観たのですが。
内容はご察しの通り人前では自分の名前さえもどもって言えなくなるという女の子の物語です。

ちなみに「吃り」と言うのが差別用語に当たるらしくて「吃音」と書くのが今の風潮らしいのですが。
どもりという言葉が差別だ!と指摘すること自体が差別だと思うので僕は従来通り「吃り」という言葉を使います。

実は僕もどもりと言うほどではないんですけど小さい頃から自分の声にコンプレックスを抱えてまして。
人前で喋ることに対して極度の拒否反応があったんですね。

きっかけは小学校の一年か二年の時だったと思うんですけど。
皆で輪になって休みの日に何してきたか?を報告しあうような授業がありまして。
その時クラスメイトの女の子(そこそこ好きな子)にね。

君の声全然聞こえへん!
もっとはっきり喋ってよ!!


って言われたんですね。
その時から事あるごとに僕は自分の声が他人に伝わってるのか異常に敏感になるようになりまして。
どうやら僕の声は他の子のそれより重低音で下に籠る感じで聞き取りにくいみたいなんですね。

だから人前では意識して高めの音域で話すように努めたんですがそればかり意識し出すと
人と話すこと自体が億劫になってきてそれなら何も喋らん方がましやわ。
っていう方向に走っちゃったんですね。

結局僕の幼少から少年時代にかけてはあまり人前で話をしない大人しい子。
っていうイメージが定着することになるのですが。
実際には人に言葉を伝えるために本来の自分の声ではない領域で言葉を発することが面倒なだけだったんですね。

そんな僕が人前で話すことの喜びを知ったのは高校三年生の卒業間近のときです。
クラスで卒業に向けて文集というか記念の冊子を作ろうということになり。
その中で「何でもベスト3」みたいなアンケート方式で集計する企画があったんですけど。
例えばクラスで面白い人トップ3とか足の速い人トップ3みたいな感じで。

その中でね。
クラスで声のカッコいい人ベスト3っていう項目があったんですけどね。
あろうことか僕の名前が一番上に載ってるわけですよ。

えぇ~~
あれだけ嫌で嫌でたまらなくてそのために性格まで変わってしまった僕の忌むべき低音ボイスが。
他人から見れば。

骨に響く感じでかっこいい

のだとか。
さらには。

見た目とのギャップにやられる(昔から僕童顔です)

らしいんですよ。
うえぇぇ~~もっと早く言ってよ~
僕は青春時代の何年かを一体何と戦ってきたんだろう(尾崎豊風)

結局は過去のトラウマに捕らわれて恥ずかしいカッコ悪いと思い込んでたことが

実は他人から見れば人とは異彩を放つ長所として羨望されている。
ということもあるんですね。

たぶん吃りの人も小さい時に友達とかから。
お前のしゃべり方変やな。
何言ってるかわからへんわ。
みたいな何気ない言葉をかけられたことが更に吃りに拍車をかけることになったんだと思うんですけど。

実際には皆さんが捕らわれてるほど人はそんなことまで気にしてなくて。
逆に舌っ足らずで何か可愛い。
なんて思われてるかもしれないんですね。
だから吃りを改善と言うか気にしなくていいようにするには
めっちゃカッコいい人とか綺麗な人とか好きな人に。

君の喋り方って前衛的で独創性的で何か素敵だよね。

みたいに言ってもらえれば一発で解決する・・・のかなデレデレ