叱られ役は必要か | 注文の多い蕎麦店

注文の多い蕎麦店

人間は何を食べて命を繋いできたのか?
純粋に生きるための料理を実践し
自然に回帰することで
人間本来の生活を取り戻します。

集団行動の中で模範となる人間を
叱られ役に設定する。
昔は確かに常套手段でした。

僕が勤め人を辞め、自立のために選んだ最初の店。
そこで僕は叱られ役に抜擢されました。ごく自然に。

ど素人の年長者。今思えば格好の標的ですよね。
社会経験は豊富なのですが、いかんせん料理は無知。
米の研ぎ方も包丁の握り方もわからない。
最初から、ミス、ミス、失敗の連続。
毎日怒声、罵声の雨霰です。

技術的な面はもちろん精神論まで。
徹底的にいびられたなあ。
その時はね。ほんとにむかついてたんです。
こっちはズブの素人なんだから。
優しくとは言わないが冷静に教えてちょうだいよ。みたいな。
周りの若い子はね。僕よりひどい失敗するんだけど何も言われない。
そりゃ腹たちますよね。当事者としては。
何で僕だけ・・・誰しもそう思うはずです。
後はね。もうほとんど意地です。絶対辞めへん。

年下の子たちは不思議だったと思うんです。
何であんだけ言われて辞めへんのやろ?
プライドとかないんか?あほちゃう?
仕事なんか他になんぼでもあるのに。って。
この叱られ役は周囲には何の効果も及ぼしませんでした。
その効果が発揮されたのは当の本人に対してのみ。

今現在。
僕の料理人としての基礎。技術、精神論含めて。
全部その時の罵声、叱咤によって培われました。
もちろんその後に学んだこともたくさんあります。
でも土台は全てあの時。まさに基礎工事。

20代半ばの素人。料理の道を歩むには遅すぎる。
そこでこけたら後は無し。
全て分かっていたのだと思います。彼は。
全てを理解し、料理世界の厳しさ、現実。
そして尊さ、喜び。
短時間で詰め込むにはあの罵声が必要だったのでしょう。
今思えば、言葉は確かにきつかったんですけど、
その叱責はど真ん中に的を得たもの。

自分が動かず物を動かせ。積極的な失敗は許容、怠惰な失敗には拳を。
失敗は学習の基、二回目の失敗には蹴り。
迷ったときは捨てる。100%の商品だけ出しなさい。
自分の理屈で作るな。お客様の要望で作りなさい。

細かいことまであげればきりがないほど。
今も忘れない貴重な礎。

本題。叱られ役は必要か。
答えはノー。条件付でYES。
叱られ役を作る理由は、模範的で優秀な人物を
あえて叱責することにより、周りの人間の危機感を高めること。
あんなに立派なあいつでも怒られるのか。
もっと気合入れて頑張らなければ。てな具合。

今の時代にはナンセンスです。
何ていうか今の若い子ってすごく冷静ですよね。
仕事柄10代の子と働くこと多かったんですけど。
みんな真面目。で普通に頭がいい。
感情を剥き出しにして激高することもない。
他者との揉め事回避術が非常にうまい。
しかもね。みんな敬語なんですよ。
年上にはもちろん。同じ年でも年下でも。
びっくりしたなあ。同い年ですよ。

たぶん彼らはそれで距離を置いてるんですね。他人と。
他者と争わないですむように。他人と比較されないように。
自分は自分。他人は他人と。
そんな彼らに対して叱られ役を設置してみましょう。
意味ないですよね。
彼が怒られようが、彼は彼。自分さえ怒られなければ。
常に比較され続け、競争させられ続けてきた彼らなりの処世術。
否定する気はありません。それで争いごとがなくなるのなら。

で、条件付のイエス。
それは叱られ役本人のためだけに。
何で俺だけ。俺の何が悪い。こんなに頑張ってるのに。
その悔しさ、辛さ、不条理さを突き抜けることが出来たとき。
とてつもなくでかい物を手に入れます。
ただし、叱る側の人格が重要。
そこには必ず愛が必要で、万が一踏み外しそうになった時
体を張って受け止めるだけの包容力も備えておかないと。
そのためには全身全霊で叱りながらも
全身全霊でフォローできる資質がなければ。

僕を叱ってくれた彼にはそれだけの愛がありました。
仕事中はぼろ糞。でも仕事が終われば
何もなかったかのように呑みに連れて行ってくれたよなあ。
しかもね。僕の修行に必要な、将来目指すとこに近いような。
そんな店ばっかり選択してくれて。

僕がその店やめる直前にね。お前賄い作れって。
今まで一回も作ったことなかったんですよ。
フライパンだって持たせてくれてなかったし。
でね。その賄い食べる人がね。
僕がずっと気になってたホールの女の子だったんですよ。
一回もそんな素振りみせなかったんですよ。
ポーカーフェース。僕の十八番でしたし。
ずっと知ってたんですねえ。つまりはずっと僕のこと気にしててくれたんですね。
こいつは折れてしまわないか。負けてしまわないか。くじけてしまわないか。
怒声を浴びせながらも注意深く僕の反応を伺ってたんですよ。
凄いです。滅茶苦茶忙しいんですよ。寝る間も飯食う間もないくらい。
そんな状態でも僕のことちゃんと見てくれてたんです。

最後に彼が言ってくれました。
叱るのにはパワーがいる。でも叱られるのにはもっとパワーがいる。
お疲れさん。頑張れよ。

で、そのホールの子とどうなったかって?
あまりの賄いの不味さに口も聞いてくれませんでした(涙)