ダメな原因は必ず自分自身にある 石臼挽き手打ちそば処しば野(石川・白山) | 蕎ばログ

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蕎麦屋が蕎麦屋を食べ歩く。一般人とは異なる同業者としての視点でシビアに鋭くタブーに突っ込みます。
技術や味云々よりも料理や蕎麦に対する信念、哲学、お客様への配慮等そういった方面から観察したいと思います。


2024・2月訪問

住所は白山ですがほぼ野々市との境目。
白山から金沢に向かう山裾の幹線道路沿いという立地。

向かいに大きな工場があるのでそういう需要もあるのだろうか。

道路沿いの幟に一抹の不安が。

 

 

昼時ですが入口からしてなんか暗い嫌な予感。

中は普通の大衆食堂のような雰囲気。


 

メニューはこちら。


 

と思ったら蕎麦のない普通の定食まであるさらに嫌な予感。


 

鴨せいろを十割で。

と思ったら今日は十割はないとのことで繋ぎ入り。

 


 

嫌な予感は確信に。
久々に地雷踏んでしまったか。

鴨汁。


 

超甘甘。
すき焼きの割り下みたいな感じ。
ロースも硬い。
ついさっき山桜さんの見事な鴨椀に出会った後だけになおさらアシンメトリー。

そしてお蕎麦。

 


 

北海道と長野のブレンド抜き実の自家製粉やや平打ち繋ぎ入り。

予想通り味はない。
こんにゃくみたいな食感。

結局昼時最後まで貸し切りでした。
景気や災害のせいではない必ず自分自身に問題がある。

きっちり見つめ直して情熱を取り戻してほしいと切に願います。

 

 

石うす挽き手打ちそば処しば野

石川県白山市曽谷町ソ3−1

 

食後金沢の施設に移った能登のばあちゃんの見舞いに。

 

 

地震の影響もあって一気に弱ったばあちゃん。

ちょうど百歳を迎えたばかりですがそろそろ覚悟しておかないと。

 

そしていざ

能登へ向かいます。

 

 

羽咋くらいまではなんとか大丈夫でしたが

志賀町に入ったくらいから一気に道路が悪くなる。

 

 

この時点では能登里山道の下りは一般車両不可だったので

ひたすら下道を北上。

 

能登町に入ってからやはり被害はさらに大きい。

 

 

そして宇出津の生家着。

 

 

僕の母親の実家。

ばあちゃんが施設に入ったので今は叔父叔母の二人暮らし。

どうにか建物は残ってますが基礎がやられてるので

全て道路側に傾いてます。

 

 

ドアというドアが全て閉まらないのでとりあえず目張りで対応。

 

 

いよいよ翌日から炊き出し支援のスタートです。

 

炊き出し初日

 

 

朝一でランニングがてら宇出津の街を散策。

旧役場前の広場は自衛隊の設営所になってました。

 

 

港もやはりひどい。

 

 

能登瓦の古い木造家屋は軒並みぺしゃんこに。

 

 

 

神社の鳥居も無残な形に。

 

 

市場裏の古い住宅街も人気は感じられない。

 

 

元々独居の高齢者が多かったので金沢あたりに避難したのかもしれない。

 

 

やはり古い家は脆い。

 

 

立町周辺。

 

 

やっぱりこっちもひどい。

 

 

時間になったので昼の炊き出し先の瑞穂公民館へ。

 

 

この時点では避難所としては解除され自主避難所として

近隣住民への物資の供給拠点に。

 

 

 

ここは調理室が併設されてるので助かるのですが

いかんせん断水が続いてるので洗い物がたいへん。

 

 

昼夜合わせて30人分の蕎麦打ち。

昼は上限15人で公社から派遣された職員さんができるだけ色んな人に当たるように

連絡してもらってます。

 

 

福井の加賀製粉さんに原価で分けてもらった能登の七尾から穴水にかけての蕎麦(品種不明)

まだまだこっちは寒いので全部温かい蕎麦にしました。

上に美山のゆう豆さんの生湯葉をトッピング。

 

 

この日のおかずはかますの天ぷら。

物流が崩壊してるので久々に魚食べたと喜んでもらえました。

蕎麦はどうやねん笑

 

公民館の前が自衛隊の給水所になってるのですこぶる助かる。

 

 

愛知の春日井から水運んで来たそうで

めっちゃいい出汁が引けました。

 

洗い物はこんな感じで。

ほんとめちゃくちゃたいへんです。

 

 

瑞穂の給水所は昼3時までだったので24時間可能な旧鵜川駅前の給水所へ。

 

 

鵜川の駅前もひどい。

 

 

そしてまた宇出津方面に戻り。

 

 

ほんとここを通るたびに胸が痛い。

罹災証明が出るまで手が付けられないのでしょう。

 

夜の炊き出しは山間部の小さな集落藤ノ瀬へ。

 

 

こちらはまだ避難所として数人の住民が寝泊まりされてます。

 

 

ここのキッチンはかなり手狭い。

 

 

夜は上限10人なのでなんとかなるとは思うが。

 

 

夜のおかずはかじきのソテーで。

 

昼はもうバタバタで普通に営業してるような忙しさですが

夜は比較的ゆったり。

住民の人と一緒に食べるゆとりもありました。

 

 

こっちの洗い物は山水で。

 

 

衛生がどうとかというよりもう生きるために必死である。

 

炊き出し2日目

 

朝一でじいちゃんの墓参り。

 

 

烏賊釣り漁船の漁師だったじいちゃん。

生前はほんと厳格で近寄りがたいほどの威厳がありましたが

漁を引退してから一気に弱ってそのまま。

目的を失うと人間は脆い。

 

棚木城跡のある遠島山公園から朝日が。

 

 

この日もあんまりパッとしない天気。

夏が終わってから能登はずっとこういうスカッとしない天気が多いです。

それだけに辛抱強い精神力も身につくのでしょうが。

 

そして瑞穂へ昼の炊き出し。

宇出津から瑞穂までは20km程度ですが道が悪いので30分くらいかかります。

 

 

この日はご飯で。

毎日来られる方もいるので7日間すべてちがうメニューで。

蕎麦とご飯を交互に組み込みました。

 

 

おかずは鱸のソテーとかきたま汁。

美山の外田養鶏場さんから地卵一箱250個くらい無償で支援いただきました。

こっちでは生鮮食品がほとんど流通してないのでほんとに助かる。

 

藤ノ瀬に行く途中で以前働いてた民宿さんなみ(現ふらっと)に挨拶へ。

 

 

先代夫婦は信州に移住して今は娘さんと婿でオーストラリア人シェフのベンさんが経営されてます。

建物の大きな被害はなかったもののお客さんの受け入れにはまだほど遠いので

一年くらい休業されるそうです共に頑張ろう。

 

夜のおかずは鰆のソテーで。

 

 

うちもまだ断水が続いてるので1週間風呂無しで済ますつもりだったんですが。

季節外れの暖かさでやっぱりなんか気持ち悪い。

ということで雨の中車を走らせて。

 

 

七見に設営されたばかりの自衛隊風呂へ。

身体に染み入る温かさほんとありがたい。

 

炊き出し3日目

 

 

僕の生家(母親の里)は能登町の宇出津というイカや寒ブリ漁で有名な小さな漁師町にあります。

 

 

僕が小さい頃はまだまだ魚も沢山獲れたので町はそこそこの賑わいがあったのですが。

年々漁獲量も減っていき他にこれといった主要産業のない町は他の地方と同じく

過疎化の道をひた走ることになります。

 

 

以前は水産高校だった公立校も生徒数の減少から普通科や農業科も統合した総合学校へと。

 

それでもやっぱり宇出津は漁の町。

 

 

今回の地震は漁業にも大きな被害をもたらすこととなりましたが

どうにかまた踏ん張って再興させていきたいですね。

 

 

この辺りには津波の押し寄せた痕跡が。

 

 

時間があったので藤波海岸に寄り道。

 

 

そしてまた瑞穂で戦闘開始。

支援物資はそこそこ充実してます。

 

 

この日のおかずはウスバハギの天ぷら。

 

 

断水で各家庭でも洗い物ができないので油物は非常に喜ばれます。

 

そして夜は藤ノ瀬。

 

 

長閑な田園がひろがる山間部の集落ですが

まだまだ家に戻れない人がたくさんいます。

 

 

夜のおかずは京地どりをピッカータで。

できるだけ毎日変化を感じられるように。

 

早めに片付いたのでこの日は柳田の自衛隊風呂へ。

 

 

炊き出し4日目

 

 

この日は朝から気持ちのいい天気。

すこぶる寒いけど。

 

 

天気もいいので宇出津の街をランニングがてら散策。

やっぱり古い建物はどうしようもない。

 

 

宇出津病院。

 

 

外来患者の受付も再開したようです。

 

 

路地奥に入るとやっぱり悲惨な情景があちこちに。

 

 

ここまで崩れたら解体費用は公から出るとは思いますが。

 

 

毎年正月の帰省時に参拝してた白山神社。

 

 

予想通りだが胸が痛い。

 

 

時間になったので瑞穂へ。

 

 

公民館は朝8時半からしか開かないので準備はもう戦争。

もちろん水が使えないので思うように作業がはかどらない。

 

 

この日のおかずは鱸のさつま揚げ。

能登ではあまりスズキは揚がらないので比較的相場は高めです。

 

それにしても昼は12時スタートの約束だったんですが普通に

10時半頃に来られます。

 

結局12時にランチ終了したのでパパっと片づけて白丸地区へ。

 

 

ここは能登町でも一番被害の大きかったところで

地震発生後続けざまに4.7mの津波が押し寄せ。

 

 

その後に発生した火災も相まって集落は全滅。

 

 

報道では珠洲や輪島ばかりがクローズアップされるのですが

この忘れ去られたような白丸の現状は世間の風潮を如実に表してると思う。

 

 

もともと半島に突き出すような場所にあった集落だけに

5mの津波がくればもうなす術はない。

 

 

でもなんでこんな状況なのにほとんどメディアが入ってないのか?

というと。

 

 

住民のほとんどはいち早く避難できたので

津波による犠牲者がなかったから(確か一人だけ亡くなられてたと思う)

 

 

結局は死者数何人何人というのがアクセス数の大小を決めるのか

人的被害の少なかったところはあまり取り上げられないという。

 

 

この日は土曜でしたが災害ボランティアも一組しか見かけませんでした。

 

 

この白丸地区と同じような状況が輪島や珠洲はもちろん。

能登町や穴水、七尾、志賀町、中能登町と至る所にまだまだ存在してます。

 

 

支援物資の供給は一通り目途が付いたので

これからは被災者の人がまた新しい未来をスタートできるように。

 

 

できるだけ速やかに災害ゴミの片づけを一緒に手伝ってあげて

もういち度人生をやり直せる希望を与えてあげたい。

 

 

そんなことを感じた白丸地区の現況でした。

 

夜はまた藤ノ瀬へ。

 

 

夜のおかず(へんな意味ではない)は鰆のソテー。

 

 

夜も昼と同じようにバタバタだったら一週間持たなかったかも。

 

 

炊き出し5日目

 

 

この日は朝のランニングは休止して

まだ行けてなかった珠洲方面へ。

小浦のあたりで奇麗な朝焼けが。

 

 

千畳敷。

 

 

民宿で働いてたときは午前中暇だったので夏場は毎日のように

ここにアワビや栄螺獲りに来てました。

もちろん今は漁禁止です。

 

そして恋路海岸。

 

 

この辺りも津波の被害がありました。

 

 

それにしても美しい朝だ。

 

 

そして松波地区。

 

 

こっちも古い家屋を中心にひどい有様。

 

 

この辺りはまだ能登町なんですが旧珠洲郡なので

宇出津の人間からしたら珠洲のイメージが強い。

 

 

どこもかしこもぺちゃんこだ。

 

 

そして軍艦島こと見附島へ。

 

 

ここからは現珠洲市の領域になります。

島は半分以上崩壊したらしいが正面から見ればさほど違和感はない。

 

 

また夏にはどっと観光客が戻って来られるように今できることをコツコツと。

 

 

そしてここも津波被害の発生した鵜飼地区。

 

 

津波に浸かったところは家財道具ももちろん全てアウト。

 

 

ここまで来たら一度更地にするより仕方ないのだが

柱が残ってるところはここも一部損壊に該当してしまうんだろうか。

 

 

どこもかしこももうとにかく大変である。

 

 

そしてダッシュで瑞穂へ移動。

 

 

時間がないので30人前一度で打ちこみます。

店でやってるような玄の粗挽きではとてもそうはいかない。

 

 

この日は赤カレイの天ぷら。

 

また早めに片付いたので藤波海岸で一休み。

 

 

ここはいつ来ても心が安らぐ。

 

向こう岸に立山連峰が奇麗に見えました。

 

 

立山が奇麗に見えた時は次の日は雨。

昔からそう言われております。

 

そして藤ノ瀬。

 

洗い物に苦労してるのを住民の人が気の毒がって

こんなの設置してくれました。

 

 

ちなみに能登では「気の毒な~」っていうのが挨拶がわりになってるんですが。

ありがとうでもごめんなさいでも使えます。

京都でいえば「おおきに」みたいな感じ。

 

 

夜ははまちのハンバーグ。

能登ではこっちの鰤サイズでも養殖ならすべてはまち(がんど)

 

そしてまた柳田の自衛隊風呂へ。

 

 

風呂無しの予定がすっかりハマってしまいました自衛隊最高笑

 

炊き出し6日目

 

 

予想通り天気は下り坂。

 

朝一で酒樽神社へ。

 

 

ここから見下ろす能登の街が好きです。

 

 

宇出津灯台。

 

 

あの地震さえなければこの瞬間も穏やかな日常が流れてたのでしょうが。

 

 

市場に寄ってみたらなんか上がってる。

 

 

イワシやサバと青物ばかりでしたが

漁が再開すれば街も動き出す。

 

 

断水で氷がないのでこのままトラックに積み込んで

金沢あたりで競りにかかります。

 

 

そして瑞穂へ。

 

 

この日のおかずは京地どりの治部煮。

 

 

意外とこっちのほうが好評でした。

 

ちょっと時間があったので小木に寄り道。

 

 

イカキングの無事を確かめすぐさま藤ノ瀬へターンバック。

 

 

こちらもこの日は治部煮で。

日に日に人数が増えてきました。

 

 

そしてまた柳田の自衛隊風呂へ。

土砂降りの中ありがとうございます。

 

 

炊き出し最終日

 

 

いよいよこの日が炊き出し最後の日。

 

 

一週間炊き出しをして思ったんですが。

そろそろ被災地支援の需要は炊き出しや物資の調達は一通り目途が付いたので。

 

 

これからは災害ゴミの片付けや運搬といった

重機の及ばない所での力作業が必要とされるようになると思います。

 

 

水道さえ復旧すれば宿泊施設も再稼働し始めると思うので

そういった災害ボランティアの需要も一気に増えてくるんじゃないでしょうか。

 

 

そして瑞穂で最後の蕎麦打ち。

 

 

この日は藤ノ瀬の人数も増えたので2.5kgの一回打ち。

この量で生まれて初めて打ちましたが結構なんとかなるもんだ。

 

 

昼のおかずは皮はぎの唐揚げ。

 

一週間お世話になりました。

使いかってのいい良い厨房でした。

 

 

そして休みなしでずっと手伝ってくれた奥野さんほんとありがとう。

今まで瑞穂は通り過ぎるだけの場所でしたが良い縁ができました。

またちょくちょく顔出します。

 

そして藤ノ瀬も最終日。

 

 

夜のおかずは(変な意味じゃなく)赤カレイの天ぷら。

 

 

片づけがたいへんなのでここでは油物は極力避けてたんですが(換気扇も回らないし)

最終日なので。

 

持ち帰りもふくめて15食。

 

これでトータル200食あまりの炊き出し全て終了です。

 

そして最後も自衛隊風呂へ。

 

 

さすがに炊き出支援は時間もさることながら

持ち出しのお金が半端ないのでもうたぶん無理。

 

とはいえその費やした時間と資本に比べようもないほどの

掛け替えのない経験を手に入れることができました。

 

さあこれからはゴミの片付けです。

また定期的に能登を支援し続けていこうと思います。

できれば背中を押してくださいニコニコ