2008-12-30

「北の新地でも、数百軒くらいは店が閉まるらしいですよ。」タクシーの運転手が、そう話していました。今年は宴会も少なく、タクシーも売り上げが激減だとか。逆に、おでん種や鍋用の食材などがよく売れているとか。
新年明けから本格的に悪化するという前評判が先行しているせいか、町に出ても、あまり歳末らしい華やかさが感じられないのが残念です。
暗い話ばかりしても、疲れてしまいますので、今回は、少し軽めに・・・(^^)
ラジオ「あ、安部礼司」にみるメディアミックス

FM東京系で放送されているラジオ番組に『NISSAN あ、安部礼司~BEYOND THE
AVERAGE』というのがある。日曜の午後5時という時間帯に放送されている番組で、東京・神田神保町にある中堅企業「大日本ジェネラル」に勤務する三十代の男性会社員・安部礼司を中心とした物語という形式である。放送開始は、2006年4月からで、すでに3年目を経過している。

基本は、ラジオドラマである。しかし、その中に最近の経済動向や流行情報、そしてそれらの解説を織り込み、番組で流される曲は、1970年代から90年代に流行したポップスやアニメソング、テレビドラマ挿入歌を中心としている。 リスナーの対象は、登場人物と同年代である30歳代となっている。実際、私の周囲でも、リスナーであるという30歳代の知人が多く、驚かされたことがある。

この番組の注目すべき点は、FM放送というメディアを活用しつつ、インターネットのウェブサイトや、テレビドラマ、書籍、さらには演劇などという他のメディアをうまく取り込んでいる点だ。

今年は、新聞社が軒並み赤字を計上し、さらテレビ局の不振も大きく取り上げられている。学生たちと接ししていると、新聞も読まない、テレビも見ないという生活スタイルが定着しつつあることを実感させられる。そんな中でラジオという旧来のメディアが意外と大きな影響力を維持していることを、この番組は示している。

ある地方新聞社の記者によれば、現在の新聞読者の平均年齢は55歳辺りだという。その新聞社では、読者調査を行い、その結果に驚いたという。つまり、これから十年後には、新聞読者の多くは定年を向かえそして、購読数は急減することが予想されるのだ。
一方、テレビも視聴者の中心が高齢者にシフトしている。ネットの通信料が低下し、動画が配信されるようになってくると同時に、同じ時間帯に同じ番組を多くの人が見るという習慣が失われてきている。私自身も、テレビのニュース番組を見なくなり、空き時間にネットの動画ニュースサイトをチェックするという習慣になってしまった。久々にテレビの報道番組を見ようとしたら、秋の再編期で終了していたことに気づき驚いたことがあった。

そうした中で、旧来のラジオを媒体として「あ、安部礼司」の成功をどう見ればいいのだろうか。まず、放送時間帯であるが、日曜日の午後5時頃である。意外にも自宅で特に何をするでもなく、ラジオを聴いている層が相当する存在するということだ。もちろんカーラジオで聞いてるケースも多いだろう。ラジオというと、深夜の方が若者に支持されているという考えが強いが、サラリーマンを中心とする三十代にとっては、日曜5時というのは落ち着いて、ラジオを聴くことのできる時間帯だということだ。
また、この番組は、登場人物である安部礼司が毎回ブログを更新するという設定になっており、番組終了時にブログに誘導するような形式になっている。さらに、N社(番組内での架空の会社であるが、実際のスポンサーである日産を示す)から依頼を受けて製作するといった想定した全国の観光スポットや名物情報の募集と提供をウェブ上で行ったり、各種のスペシャルコンテンツをウェブ上で公開するなど、ラジオだけで完結することなく、ウェブ上に展開することに成功している。こうしたクロスメディア戦略あるいはメディアミックス戦略を学ぶ上でも、この番組は非常に良い事例だろう。

脚本集や、番組中で使用した曲を集めたCDの発売なども行ったり、ドラマ内で登場人物たちが製作したステッカーを日産のディラーで販売するなども行われた。
架空の設定であるストーリーと登場人物に加え、声優や歌手、俳優などを実際の人物像と絡ませながらスペシャルゲストとして登場させる手法は、非常にうまい。スポンサーである自動車メーカーも、架空のクライアントとして登場させると同時に、その架空の設定をうまく現実のマーケティングに繋げている。

私たちの生活や習慣は、この十年間で大きく変化してきた。その中で、旧来のメディアと、新しいメディアを、私たちは実はうまく使い分けているのではないだろうか。逆を言えば、使い分けられているメディア側が、そうした私たちの使い分けを利用し切れていないことが、最近の流れの中で現れているのではないだろうか。

若い世代は、新聞も読まないし、本も読まない、勉強もしないと言われるが、一方で、この番組が人気があるひとつの要因は、ドラマ内にさまざまな情報を織り込んでいるからであるし、その点で言えば、フリーペーパーで人気の「R25」や、「TOKYOHEADLINE」紙と共通した部分があると言える。いずれも一見した切り口は軽いが、思いのほか、まじめな硬い話題を取り上げていることがある。

新年を迎えて、これからどんなメディアが現れ、そして私たちの習慣を変えていってくれるのだろうか。「若いやつが考えていることはわからん」と切って捨てないで、「あ、安部礼司」でも聴いて、未来を考えてみませんか。
2008-12-30

金融危機の悲鳴が聞こえる中、経営者達は意外に悠然としていた。10月に大田区中小企業の訪問調査をした時も、11月末に電話で金融問題についてうかがった時も。多くの小規模企業経営者達は仕事が減って大変だとは言いつつも、冷静に現状を説明してくれた。以下は10月の訪問調査で印象に残った企業の概要である。
S産業(株)はプラスチック精密切削加工を行っている。ムクの素材から削り出して、機械部品や半導体関連の部品を作っている。ほとんどが小ロット多品種の試作関連である。図面は発注者から来る。エンドユーザーは半導体、医薬、食品関係の大手企業で、生産ラインに入る部品が多い。取引には商社や関連会社が間に入る。従業員数は8名、売上はここ数年順調で年商1億円ほど。ただしこの8月から少し下降気味だそうだ。

経営者のYさん(55歳)は長野県出身で、上京して大手建設機械メーカの営業をやっていたが、その後大田区内の中小企業に転職して営業の仕事をする中でこの業界を知った。平成2年36歳の時に区内で彫刻機1台で創業した。5坪のところだった。その後15坪の工場に移ってMCを導入し、1名雇って仕事を増やした。さらに36坪の工場に移り、現在はここが第2工場になっている。彼は今も工場の2階に住んでいる。

Yさんは借金をして高度設備を導入するという積極経営を行ってきたが、その割には財務状況は悪くない。設備に応じた仕事量が確保出来ているからだろう。プラスチックは膨張するので在庫は置かない主義だという。プラスチックの種類は20~30ほど。受注ロットは100以下が多い。特定取引先のシェアは多くて20~30%止まり。切削加工は射出成形加工よりも多品種少量タイプの生産方式なので、国内に仕事が残っているそうだ。現在、区のマッチング事業も活用して若い人を確保しようとしている。高度設備を活用しての高品質・精度・納期(即日もある)が売りなので、若い人材が欲しいそうだ。ただし、それほどの規模拡大は目指さず、人数の上限を20名と考えている。

(株)M製作所はカメラ関係の部品加工を行っている。最大の取引先はキヤノンで、直の取引だ。ニコンやソニーとも長年の取引関係にある。カメラの鏡筒などの試作の丸物加工が多い。試作にこだわっていて、仕事の8割が試作という。旋盤、フライスなどの切削加工がメインで高度な測定器も完備している。定価2300万円の3次元測定器もある。

経営者のKさん(62歳)は青森県出身で、中学を出て上京し大田区の町工場に勤めるかたわら夜学の工業高校に通った。学校から帰って再び12時まで旋盤を動かしていたという。景気の悪い時に機械を買う、手形は出さないなど、彼の明快な経営哲学はこの苦労の時期に育まれたものだろう。彼は昭和49年に区内で1人で創業して、当時区内で急速に伸びてきたN精機を目標に頑張ったそうだ。その後規模を拡大して2年前から区の工場アパートに入り社員は13名になった。若い人も多い。彼らには社長が旋盤を、工場長がフライス盤を教えているそうだ。後継者も社員の中から選ぶという。最近半年間の月商を詳しくうかがったが、この時期にしては順調に推移しており、前年同月比で見ても伸びていた。

(株)O製作所は大型の門型MC6台を取り揃え、金型工場と製缶工場も持つ特徴ある会社だ。経営者のHさん(73歳)は、群馬県出身で昭和28年18歳の時上京し、大田区の町工場に勤めた。もう一つ町工場を経験してから昭和33年に区内で創業した。ベンチレース1台だった。その後次第にプレーナー主体の設備となったが、今はこれを全部売って門型に切り替えた。現在地には昭和45年に来たが、その後土地を4回買い増した。従業員数は3工場合計で27名。仕事内容は鉄を切削加工しそれを製缶溶接して大型の台などを作るというもの。例えば、ホンダの生産ラインの部品(ロボット溶接機を載せる台)など。取引先はホンダ40%、日立(半導体や液晶製造装置の部品)20~30%、アイダ20~30%、いずれも直の取引だ。ホンダのエンジニアだった娘婿が後継者だそうだが、なかなか味のある経営者であった。

(株)N製作所は、精密金型を製作して精密プレス加工を行っている。同社は現経営者のNさんの父が昭和33年に創業した。昭和55年法人化と同時にNさんが会社を継いだ。仕事は当初からカメラ(リコー)の絞りバネ(薄さが100分の3)など。現在はそれ以外にバックライト(コンピュータなどのリフレクター、フィルムと金属の複合体)、水晶発振子関連なども生産している。

訪問時はISO14000のセカンドステージを2008年11月に迎えるところだったので、工場内には環境に関するパネルや指示票が工夫を凝らしてたくさんかかっていた。輸出する品物もやっているので対応しなければならないそうだ。工場内は工作機械のあるところも全て木の床であるのがユニークだ。技術と技能に優れた会社で、その技術力を活かしてベローズを開発して区の新製品新技術賞も受賞している。従業員数は全体で34名、うち社員21名。平均年齢は50歳と高いが、金型部門に熟練技能者を抱えているので、ここが年齢を引き上げているそうだ。経営理念のしっかりした会社で、社長も1年間手でトイレ掃除をしたそうだ。訪問翌日に社長直筆の丁寧な礼状が来た。

K工業(株)は板金加工の会社だが、近年は開発したダイレスフォーミング加工を売り物にしている。これはプレスをせずに絞って形を作る工法で、樹脂製の型の上に金属板を乗せて挟み込み圧を加えながら上からドリルのような棒でヘラ絞のように擦りあげるようにして押し込んで絞る。金型が不要なので特急の試作加工向きだ。最初にこれで加工したものを見せていただいた時には、どうやって作ったかは全く見当がつかなかった。現在この工法による売上が一定割合を占めるようになってきたそうだが、用途開発をしながら受注しなければならない工法なので、多くの得意先にこの工法を認識してもらう必要がある。得意先で展示会なども行っているという。経営者のAさん(61歳)は大手メーカでIEをやっていたエンジニア系だが実践的なマーケティ
ング手法にも詳しい。

この新しい工法とは別に、同社はもともと優れた板金加工技術をコアとしており、高度な板金加工設備も多数保有している。また手作りの工程もあるので技能水準の高い熟練工も多い。得意先はリコー、セイコー、キヤノンなど。従業員規模は20名ほどで高齢の人と若手の組み合わせだ。現在、社長の子息や専務の子息など20代4名のグループを作ってこれを核にして技術と技能を継承し発展させていこうとしている。

金融危機に端を発した経済の混乱はつい最近までわが世の春を謳歌してきた某自動車メーカをも直撃した。派遣労働者をコスト削減とショックアブソーバのために多用してきた多くの大手メーカはここぞとばかりに伝家の宝刀を抜いてしまった。一方で、戦略の選択肢の少ない、受身の立場の中小企業の辛さは首の皮一枚でつながった労働者たちと似ている。しかし、インタビューを通じて、多品種少量生産に生きる小規模企業の経営者たちは、慌てふためく大手企業のトップよりも矜持と変化への対応力を持っているように感じた。規模が小さいがゆえに運転資金や設備投資の負担がそれほどでもなく、現場で働く人たちが高い付加価値を生み出す構造になっているので、目の前の仕事は減っても、なんとか持ちこたえる力があるという自信を経営者が持っているのではないかと思う。

多品種少量生産においては随時生ずる変化に適切に対応することが要求される。そのためには、従来とは異なる「面倒なこと」を背負い込まなければならない。一日の中でこれまでとは異なる作業に時間をとられることになる。しかし、面倒を背負い込むことで自分でも気がつかなかったものが身心から現出して、変化に積極的に対応するうちに自分自身が内側から変わっていくのではないか。確かに、小さな企業の経営者たちは経営学の訓練は受けていないかもしれない。しかし、待ってましたとばかりに内定取り消しや派遣労働者の解雇を行う大企業の経営者たちに比べると、自らの身体化された知識にプライドと自信をもって悠然と耐え忍ぶ町工場の親父さんたちの方が真の経営者としての人格を備えているように思う。
2008-11-30

うまい具合に出張が入ったので、0系新幹線に乗ってきました。平日の深夜の便だったのですが、車内はほぼ満席。出張帰りのサラリーマン姿が多かったのですが、なぜかカメラを携帯。さらに驚いたのは、鉄子(女性の鉄道ファン)の多さ。途中駅ではホームに三脚の列。最終駅では、ホームは人だかり、駅員に警備員に警察官と、まさにお祭り状態。ま、そのお祭り状態を引き起こしている原因の一端を、なかむらも担ってきたわけですが。。。

さて、11月に、「図解・世界が驚嘆する日本のモノづくり」という文庫本を監修者として出しました。定価630円です。調査研究やテレビの取材などでご協力いただいた企業さんも含め、さまざまな企業のものづくりを紹介させていただいております。お近くの書店もしくは、ネットでお買い求めください。
詳しくは⇒こちらまで
ものづくりは、なぜ遠い存在になったのか

中村ゼミの4年生のほとんど、6名が製造業に就職する。在籍する大学のゼミでは異例の多さで、回りからも「なぜ」とよく尋ねられる。その前もそうだったし、今年の3年生も製造業希望が多い。

大学の就職指導部や就職活動支援会社に聞くと、合同説明会などを開催しても、「~工作所」とか、「~工業」という名前、つまり製造業は人気がなく、「正直言って、大人の立場からすると、こんな会社はなあ~(笑)と思うような企業でもカタカナだったり、サービス業だったりすると、沢山来るんですよねえ」という状況らしい。つい、先週も京都の企業合同説明会に行ってきたゼミ生が、「XXXが会場入ってすぐのところにあって、結構、本命なので、ラッキーと思ったんですが、他は一杯なのにガラガラなんですよ」とにんまり笑って帰ってきた。そのXXXという会社は、その業界では結構有名だし、大企業の部類に入る方なのだが、後で、周りの学生にそれ
となく話を振っても、知らない者がほとんどだったらしい。

今年、ある上場している製造業企業に内定を採ったA君は、苦笑いをしながら、次のような話をしてくれた。久々にあった同級生たちに会うと、決まって「お前はどこに就職するんだ」という話題になる。A君が、内定した企業の名前を言うと、決まって同情するような表情をして同級生が「大変だよなあ、製造業は、よく行くよなあ」と言うのだそうだ。「でもねえ、いちいち、説明するのもめんどくさいし、じゃあ、お前はと聞くと、名ばかり管理職問題で名前が出ていたサービス業企業だったり、大量に採用して、大量に退職するので有名な流通企業だったりなんですよ。」なぜか、
製造業=労働環境劣悪=よくない企業という「負のイメージ」が定着しているのだ。

少し視点を変えると、産業観光といって製造業の工場を見て廻るということが「観光」になる時点で、一般の人たちの生活から、製造業が遠い存在になってしまっているのだ。いつの間にか、ものづくりは多くの人にとって遠いところで、誰か知らない人がしているものになってしまっているのではないだろうか。
考えてみれば、私の子供の頃ですら、例えば近所に木工工場があり、夏休み、カブトムシを飼うために、カンナ屑をもらいに行ったものだった。今、大半の子供たちにとっては、カブトムシのための木屑は、ホームセンターか量販店で買ってくるものだろう。

学生たちが、製造業企業に関心を持たないのは、「嫌い」だからではなくて、「知らない」からなのだということを、ここ数年、学生たちに接して、理解できてきた。もちろん、うちは経済学部でばりばり文系なのだが、工場見学をしたり、経営者の皆さんの話を聞いたりする中で、「どうせ営業するなら、こういう工場で作られたものが売りたいですよね」とか、「総務とか経理でもいいから、製造業の一角で働きたい」などと言い出すのだ。(「洗脳が聞いた」と笑う経営者もいますが・・・笑)

工場見学や、その情報が人気になったり、観光産業の一端として「産業観光」が取り上げられたりするのは、私の仕事的にはうれしいことなのだけれど、一方で、どんどん「ものづくり」が遠くなってしまっているのは、どうなのだろうと少し複雑に思う気持ちもある。

一般の人たちから、ものづくりが遠くなった理由はいろいろあるだろう。住宅地と工場の混在が、工業団地の整備などで解消されていったこと。生産設備の機械化によって、見学なども安全管理上できなくなっていること。以前よりも、安全性や責任問題などが厳しく指摘されるようになり、かつてのように製造現場に簡単に出入りでいなくなったということもあるだろう。身近なものの海外生産が増加し、国内で製造されなくなったことも大きい理由の一つだろう。そして、技術の高度化により、仮に工場を見ても、どういう工程で何をしているのかも理解できなくなっていることも指摘できるだろう。

なにより、今回の不景気で、連日、「製造業企業また解雇」なんて記事が載ると、またぞろ若者の製造業に対する見方が悪くなるのでは、などとも思ったりする。

今回の不景気は、全治2年とも3年とも言われるが、有史始まって以来、雨がやまなかったことはない。いずれは景気も回復するだろう。その時に、必ず必要なのは、優秀な若い人材である。ものづくりがどんどん遠い存在になってしまった上に、景気悪化が引き金になって、またぞろ悪いイメージが定着してしまったのでは、いざという時に人材が集まらなくなってしまう。

厳しい状況下だからこそ、ものづくりに日々いそしんでいらっしゃるみなさんこそが、情報発信をして、その素晴らしさ、MADE IN JAPANの魅力を多くの人に知らしめていただければなあと思う、今日この頃なのです。