長久保城と滝 | 東四ヶ一の庄

東四ヶ一の庄

実家を離れて40数年。もう帰ることはないだろうと
思っていたこのまちに戻ってきました。
「東四ヶ一の庄」とは、私の愛読書『ホビットの冒険』
『指輪物語』の主人公の家があるところです。

茨城県北部に住んでいたとき、仕事で長久保赤水(ながくぼ  せきすい)という人を知った。

 

日本で初めて緯線と経線の入った地図を作った人、というのが最初に聞いたことだった。この地図は、伊能忠敬より50年ほど早く作られていて、伊能忠敬も赤水の地図を持って全国を歩いたのだそうだ。

 

長久保赤水は、今の茨城県高萩市で生まれた農民の子だった。

 

儒学、農政学のほか、地図を描くために必要な天文学を修め、水戸藩主の侍講(藩主に学問を教える人)にもなり、年貢米取り立てのとき役人に召し上げられる強制賄賂をやめるよう藩主に進言し(命がけの行為)、とにかく学問の好きな(そしてそれを生かす)人だったことを知った。

 

いろいろな意味で「すごい」人だったのだと思う。
 

私の住むまちの隣、長泉町に「長窪」というところがある。

長久保赤水の仕事のとき、かつてこの長泉町に「長久保城」という山城があり、赤水の先祖が領主であったらしいと教わった。茨城で静岡のことを教えてもらったのだ。

 

地図で調べてみると「長久保城跡」というのがあった。ここへ行ってみることにした。

城のあとは、今はほとんど宅地になったり学校になったり商業施設になったりしているらしい。

城の区画だった曲輪(くるわ)跡が少し残っているだけのようだ。

 

曲輪跡に神社が建立されていた。

校外学習に来ていた中学生たちに「こんにちは」と言われた。この子たちの学校も、かつての長久保城のどこかにあるのかもしれない。

 

神社の片隅に、古い祠とクスノキ(たぶん)の大木。

木はいいなあ。
後ろに下がって写真を撮っても、画面に木の天辺まで入らない。
初夏の緑には何かエネルギーがあるような気がする。高い木が葉を繁らせているだけで、なんだか(神社より)神々しい。
 
中村草田男の句「万緑の中や吾子の歯生え初むる」も、緑の力と生命の力が響き合っているように感じる。
 
道沿いに古い道しるべがあった。
右 みくりや 左 山みち
右横には、「當○(読めない)」と、「鈴木五エ門」という名前が刻んである。
 
職場の近くに、竪破山(たつわれさん)という山があった。山頂近くに、八幡太郎義家が一太刀で割ったという(嘘だと思う)直径7mの半球の巨石、太刀割石(たちわりいし)がある。
この山の登り口の近くに、やはり古い石の道しるべがあった。
指さす人のかたちがかろうじてわかる、すりへった浮き彫りがある小さい石で、道しるべ自体もすりへって、どの角も丸くなっていた。浮き彫りの人の指さす方向には「てつな」と彫ってあった。高萩市の「手綱(てつな)」という地区に通じる道を示しているのだ。
 
長久保赤水が生まれたのは、高萩市赤浜というところ。赤浜の由来は、神代の時代に戦があってたくさんの血が流れたから、とも言われているらしい。
赤浜海岸の景色は美しく、大河ドラマのロケなどに使われたこともある。
 
長久保城跡として整備されているらしいのは、神社周辺だけのようだ。
せっかく夫に車を出してもらって来たので、帰り道に「鮎壺の滝」に寄ることにした。
(どちらも、御殿場線の最寄り駅から歩いても行ける)
 
鮎壺の滝は黄瀬川にあり、伊豆半島ジオパークのジオサイトのひとつに認定されている。
滝の上部から取水している用水路は、昨年世界かんがい施設遺産に登録されたのだそうだ。
滝と、その向こうに小さく富士山が見える。
滝壺にカワウが潜っていった。なかなか出てこない(溺れることもあるんだろうか)。
 
出てきた。
石を投げて水切りしているようなカワウ。(私は水切りできたことがない)
 
滝を別角度から。

大木の緑の力と滝のマイナスイオンで、なにかいいことがあるだろうか。