長い人は10連休にもなるという大型連休。
以前の職場は、カレンダーの赤い色の日は開けているところだったから、長いこと「連休に休む」という感覚がなかった。
連休のはじめ、狩野川河口まで歩いてみたら、前に来たときには出られなかったコンクリート壁の外側を歩くことができた。休日だけ運行する渡し舟の、左岸の乗り場がこの壁の外にあるからかもしれない。
道からコンクリート壁を見たときは、固く閉ざされた扉の表示が「漁業関係者以外立ち入り禁止」だったのが、川の側から見ると「地震・津波に備えて常時閉鎖」となっている。
漁業に携わる人たちも、連休は休みなのだろうか。船がもやってあるだけで、人はひとりもいなかった。
右手の木立は小さい丘で、てっぺんに神社があったはず。
人間はいなかったけれど、鳥たちがいた。
頭上を何羽ものトンビが舞い、岸壁にはカワウ。人間は私ひとりだった。
ふと、ヒッチコックの映画「鳥」を思い出してしまった。
風を切る音がして、見るとトンビが数メートル横を飛んでいた。ほぼ私の目の高さ。横顔がよく見えた。(トンビはわりと人?の良さそうな顔をしている)
わあぁぁ、トンビ、こんな近くを。
じっと目で追って、遠ざかってからやっと、写真を撮ろうとすべきだったか、と思った。
羽根を乾かすカワウにまじって、アオサギが一羽いる。
岸壁には、ところどころにこんなふうに突き出たところがあり、この反対側は斜路になっている。船を引き上げたりすることもあるのだろうか。
その斜路を水際まで降りると、水の中が良く見える。
水の中にいたカニ。生きているんだろうな。
茨城にいたときも、海まで散歩しては水の中を見るのが好きだった。一見して何もいないように見えても、じっと観察していると、必ず何か動くものがいる。
幽霊のように透き通ったエビを見つけたことがある。底の砂地に忍者のようにへばりついているタコも。キラキラと水面近くを集団でやってきて、ものすごい早業で小魚を捕食していたコウイカも。小刀のように光るサヨリも、巨大化したらSF映画に出られそうなナマコもいた。
そして、こんなものにも出会ったのだ。
クロシタナシウミウシ。(けっこうそこらへんにいるらしい)
これは、そのとき家に帰ってからあらためて調べ(名前を確認し)GIMPというフリーのお絵描きソフトで描いたもの。原画はもっと大きいけれど、もう15年くらいも前のことで、このサイズの絵しか見つからなかった。(あのころはカメラを持ち歩いていなかった。面白いものを見つけると、覚えておいて帰ってから調べた)
大きさは5㎝くらいだった。黒い体にベージュのふちどりがあって、とてもシックな色合いだった。腰(?)のあたりに、フリルのように黒とベージュの外套膜がひらひらと揺れていた。
あのときは嬉しかった。こういうものが見つかることがあるから、水のある場所へ行くと覗き込まずにはいられない。
ウミウシは派手なものが結構いるけれど、同じような仲間でもっと大きいアメフラシは白地に黒の砂のような模様でずっと地味だ。あの海にはアメフラシはいつもたくさんいた。
一度、誰かがいたずらしたのか、砂地の上に放置されたアメフラシ(ゴマ団子のようだった)を海に戻してやったことがある。アメフラシはとても柔らかいから、水中でないと自重を支えきれないのではないか。ひどいことをする人がいるなあと思った。
グリム童話に「あめふらし」というのがある。
若松宣子 文 出久根育 絵 偕成社
私が読んだのは岩波文庫のグリム童話集で、挿絵はなかった。「王女がアメフラシを髪の毛の中に隠す」という描写があったので、ええっあんなものを?!と驚いた記憶がある。(「アメフラシが走る」という文もあったような気がする。どうやって?)
この絵本は読んでいないのだけれど、アメフラシがどんなふうに描かれているのかとても興味がある。
さて、人がいない岸壁で、鳥たちはのびのびしていた(ように見えた)。
それでも私が近づくと、ちっしょうがねえな、という感じで飛び立ったり水に入ったりする。せっかく羽根を乾かしていたのにすみませんね。
カワウもウミウも、こんなふうに羽根を広げていると「ほら、見て見て。いい羽根でしょ」と見せびらかしているようにも見える。
帰り道、黒く実の熟したカラスノエンドウを見つけた。
動物の鳥ではないけれど、一応カラス。
実が黒くなるから「カラス」なのだと教えてもらったことがある。私は長いこと「カラスのエンドウ」だと思っていたけれど「烏 野豌豆」なのだった。
サヤは3㎝ほど。黒く熟した豆をすりつぶすと杏仁豆腐の匂いがするという。
緑の豆の方は、本当にグリーンピースのようだ。直径は2㎜もあるかどうかだけれど。
これで豆ご飯を炊いた人もいるらしい。豆をサヤから出すのが大変だったことだろう。