昨日は1日雨降りで、それでも市制100周年マラソンは実施された。
堤防を左へ。
そして橋を渡ると、ゴールの公園だ。
午前に出発した短い距離のコースには、小学生くらいの子どもも参加していた。このころは、一番雨がひどかったかもしれない。
参加の皆さん、お疲れ様でした。
私は雨でも歩きに行きたくなる。長靴をはくのが好きだからかもしれない。そのまま水たまりに踏み込んでしまっても平気だから。(わざと入ってみることもできる)
なんとなく駅の方に向かった。いつもよりひと筋西の、普段あまり通らない道を歩いた。
すると、こんな石碑があった。
なんとここは「日本の近代的小学校発祥の地」だったらしいのだ。
明治元年に兵学校の付属小学校として開校し、士族・平民の別なく入学を許し(って、なんか偉そうな)洋算・地理など新しい教科や教授法を取り入れた、と、赤い石の部分にある。(とても読み難い)
何年か前、職場の講座で知己を得た近世文学の先生が言っていた。
「江戸時代は慈父の時代だった。ときには、父はお上に背いても子どもをかばう存在だった。明治になって西洋の軍隊の様式を学ぶようになると、人々は『天皇の子』『臣民』と呼ばれ、父としての天皇に従うべき存在とされた。厳父の時代になっていった」
私の記憶なので、どこか間違っているかもしれない。(W先生すみません)
近代的小学校というのは、小さな兵士を育てるところから始まったのかもしれない、と思った。
私は運動神経皆無なので体育の授業は苦手だったけれど、運動ということを置いておくとしても、体育の授業って軍事教練みたいだな、ということは感じていた。
号令。番号。気をつけ。休め。解散。
今の学校は、この「近代的小学校」よりもっと、私が通っていたころよりさらに、アップデートされているんだろう、とは思う。
小学校は、ソフトではあっても「兵学校付属」のままだったのかもしれない。
線路跡は、駅前にある運送会社の敷地内に続いている。覗いてみると、レールを埋めて平らにしてあるらしく、レールの表面が二筋の鈍く光る線になっていた。
緑道の脇でスズランスイセン(スノーフレーク)が雨に濡れていた。
私は、これをずっとアマドコロという花だと思っていた。正しい知識を教えてくれたのは、以前参加していた自然観察グループのメンバーだった。
有毒とのこと。食べられません。