雨の中を歩く | 東四ヶ一の庄

東四ヶ一の庄

実家を離れて40数年。もう帰ることはないだろうと
思っていたこのまちに戻ってきました。
「東四ヶ一の庄」とは、私の愛読書『ホビットの冒険』
『指輪物語』の主人公の家があるところです。

昨日は1日雨降りで、それでも市制100周年マラソンは実施された。

 

堤防を左へ。

そして橋を渡ると、ゴールの公園だ。

午前に出発した短い距離のコースには、小学生くらいの子どもも参加していた。このころは、一番雨がひどかったかもしれない。

参加の皆さん、お疲れ様でした。

 

私は雨でも歩きに行きたくなる。長靴をはくのが好きだからかもしれない。そのまま水たまりに踏み込んでしまっても平気だから。(わざと入ってみることもできる)

 

なんとなく駅の方に向かった。いつもよりひと筋西の、普段あまり通らない道を歩いた。

すると、こんな石碑があった。

なんとここは「日本の近代的小学校発祥の地」だったらしいのだ。

 

明治元年に兵学校の付属小学校として開校し、士族・平民の別なく入学を許し(って、なんか偉そうな)洋算・地理など新しい教科や教授法を取り入れた、と、赤い石の部分にある。(とても読み難い)

 

何年か前、職場の講座で知己を得た近世文学の先生が言っていた。

「江戸時代は慈父の時代だった。ときには、父はお上に背いても子どもをかばう存在だった。明治になって西洋の軍隊の様式を学ぶようになると、人々は『天皇の子』『臣民』と呼ばれ、父としての天皇に従うべき存在とされた。厳父の時代になっていった」

私の記憶なので、どこか間違っているかもしれない。(W先生すみません)

 

近代的小学校というのは、小さな兵士を育てるところから始まったのかもしれない、と思った。

 

私は運動神経皆無なので体育の授業は苦手だったけれど、運動ということを置いておくとしても、体育の授業って軍事教練みたいだな、ということは感じていた。

号令。番号。気をつけ。休め。解散。

 

今の学校は、この「近代的小学校」よりもっと、私が通っていたころよりさらに、アップデートされているんだろう、とは思う。

でも、それでも、今の子どもたちには、きっとまだ追いついていない。
 
私の子どもが通っていたころでも「みんな一緒」を重んじ、それぞれ違うひとりひとりが響き合う「調和」ではなく、規則を守らせて形を整える「秩序」を重視していたように思うからだ。
 

小学校は、ソフトではあっても「兵学校付属」のままだったのかもしれない。

 
学校へ行く。学校へ行かないで勉強する。ホームスクーリング。フリースクール。ウェブスクール。
子どもたちが、自分に合った方法で勉強できる選択肢が増えればいいのに、と思う。
 
アフリカの小学校で子どもたちを教えた経験のある知人がいた。彼女の話を聞くと、私の言っていることなど寝言に聞こえてしまうけど。
 
SDGsの目標のひとつ。「質の高い教育をみんなに」
「質の高い教育」ってなんだろう。
昨年夏SDGsの講座を受講して以来、私はわからないことが増えた。
 
昔、港から駅まで、貨物専用列車が走っていた。蛇松(じゃまつ)線という。(明治19年から昭和49年まで)人間のお客は乗せなかったようだけれど、日立市の鉱山電車にちょっと似ているかもしれない。
今は、その線路の跡地が細長い緑道となって、港から駅前まで続いている。

線路跡は、駅前にある運送会社の敷地内に続いている。覗いてみると、レールを埋めて平らにしてあるらしく、レールの表面が二筋の鈍く光る線になっていた。

 

緑道の脇でスズランスイセン(スノーフレーク)が雨に濡れていた。

私は、これをずっとアマドコロという花だと思っていた。正しい知識を教えてくれたのは、以前参加していた自然観察グループのメンバーだった。

有毒とのこと。食べられません。