山に登る | 東四ヶ一の庄

東四ヶ一の庄

実家を離れて40数年。もう帰ることはないだろうと
思っていたこのまちに戻ってきました。
「東四ヶ一の庄」とは、私の愛読書『ホビットの冒険』
『指輪物語』の主人公の家があるところです。

そういえば「山に登る」というタイトルの、萩尾望都の漫画があった。(なにも関係はない)

 

今日は午後から天気が崩れるとの予報。朝のうちに郵便局へ出かけ、そのついでにちょっと歩きに行った。

私の通っていた中学は山(標高193m)のふもとにある。その山の中腹に広場のようなところがあったはずなので、そこまで行ってみようと思った。

 

この山は、私の小学校では小学1年生の一番最初の遠足で出かける山だった。そして、6年生が卒業する時ひとりが一人、1年生を連れてお別れ遠足に登った。その遠足のときに一緒に登ることになった女の子は、素直で弱音も吐かない楽な相手だった。(ほかに言い方もあるだろう)

 

「背が高いね」と言うので、どのくらいあると思う? と聞いたら、その子はしばらく考えて「3メートルくらい……?」

楽しい遠足だった。

 

小学校四年生のときは、毎週のようにこの山に登った。そのころは頂上にお城の形をした建物があり、その天守閣部分(だと思う)がプラネタリウムになっていた。1回の上映を50円で見ることができたので、お小遣いを持ってたびたび行った。

プラネタリウム解説員のお兄さんが、日本語があまりできない中国の人で、解説についてはほとんど覚えていない。

このお兄さんに「スイキンチカモクドッテンカイメイ」と、太陽系の惑星を教えてもらった。

 

てっぺんは、今は展望台のある公園に整備されているらしいけれど、今日はそこまでは行かなかった。

 

中学のときは、授業や部活でよくこの山に来た。年に一度の駅伝大会は、この山裾をまわって反対側から山に登り、下って学校まで戻るという過酷なものだった。過酷な登り区間は男子がやるものと決まっていた。あのころは、様々な場面で今よりもっと男女のバイアスがかかっていた。

 

登山道は舗装されていて、山登りというより坂道を歩く感覚。(もっとワイルドな道もあるらしい)ひとりで登る高齢の男女にぽつりぽつりと出会った。

子どもの頃もこの登山道はあったけれど、私たちはほとんどこの道は使わなかった。蛇行する登山道をショートカットする直線の登り道が(獣道ならぬ子ども道)できていた。

 

中腹の広場からは、街が見渡せた。昨日昇ったあの大水門も見える。

今日は天気が下り坂に向かうからか、遠景が春霞のようにぼうっとしている。

広場には慰霊塔があった。

昔から「五重塔がある」とは思っていたけれど、今日(初めて)じっくり説明を読んだ。

日清・日露・第一次世界大戦・第二次世界対戦で亡くなった人たち全てのための慰霊塔らしい。

 

中学の前を通って帰った。昔の正門は、今は通用口のような位置に(地位に)あるらしい。道を少し行ったところに立派な正門ができていた。

小学校と同じように、私がいたころは木造校舎だった。三年生になって、特別教室だけが新校舎になった。昔の図書室は狭かったけれど、木枠の窓から柔らかい光が入る暖かい部屋だった。なめらかでつやのある木の床に座りこんで重い画集を広げ、時間を忘れて見入った。ルネサンス絵画が大好きだったころだ。

 

昔の正門。美術を少し知るようになって、この門はモンドリアンだなと思った。

モンドリアンといえば思い出す児童文学がある。

トゥルース・マティ作『ミスター オレンジ』。

少年の成長と反戦と真実が、色鮮やかに描かれる。平和のためには想像力が欠かせないのだと思う。

 

今日出会った鳥たち。

ツグミ。おなか側から見た図。わかりにくいけど。

ジョウビタキ雌。ボケてるけど。(ボケが目立たないよう小さくしてみた)

メジロ。影だったので、あのきれいな緑色がくすんでいるけど。

今日も、良い鳥に出会えた。