そばにいて
8.おでこの代償 2
そして次の瞬間、優花の右手を掴んでいた手がはらりと離れた。
リビングへと続く廊下にへたりこんでいる優花を見下ろすのは
正真正銘、あの吉永君だ。
「おい、大丈夫か? 」
頭上に注がれる声の源は、ずっと恋い焦がれていた吉永君だった。
優花は力なく、はるか彼方にある彼の顔を見上げる。
「あ……。吉永君。あの、ごめんね。愛花のこと、許してくれる? 」
夢ではない。現実にそこにいる彼に妹の無礼をわびる。
「許すも許さないもないよ。あいつ、俺たちのことかなり誤解してる
みたいだな。それとも、そっちが何か言ったのか? あいちゃんに
何か吹きこんだとか……」
それって、どういうことだろうか。優花が妹に、吉永君との関係を
誇張して伝えていたとでもいうのだろうか。
それこそ大いなる誤解だ。愛花の早合点以外の何物でもない。
「そんなあ、わたし、何も言わないよ。だってわたしと吉永君は、その
昨日まで、何もしゃべらなかったんだし、一緒に行動することだって
全くなかった。それなのに、愛花にいったい何を吹きこむって言うの? 」
「確かに……。俺たち、間違ってもあいちゃんに思われるような関係じゃ
ないよな。あいつの思い込みもあそこまでいくとたいしたもんだ。昔から
妙に俺になついていて、遊び仲間としての付き合いは長いが、あんな
風に思われていただなんて、ちょっとびっくりだな」
「ホントだね」
「で、マネージャーも飛び出したわけだけど。どうなってるんだ? そっちの
友だちは」
「あ……」
そうだ。こんなところで昔話に浸っている場合ではない。麻美も愛花も
いったいどこに行ってしまったのだろう。
「わたし、行かなきゃ。わざわざお見舞いに来てくれた友達に、姉妹の
いざこざを見せてしまって。本当に申し訳ないよ。愛花だって捜さないと」
ふらつきながらも立ち上がって、玄関に向かおうとした。なのに。吉永君の
手が、再び優花の腕をつかみ、ストップをかける。
「なあ。マネージャーは本城に任せておけばいいよ。あいつならうまくやって
くれる。それにあいちゃんだって、もう中三だろ? 迷子になるような年じゃ
ない。好きにさせてやればいい。今ねーさんの顔を見たら、また反抗するぞ」
「で、でも……」
「学校休んだやつが何言ってるんだ。具合が悪いんだろ? ここでじっとしてろ。
なんなら、俺が捜してこようか? 」
「いいよ。そんなの悪いし。そうだ、もしかしたら、母さんの仕事場に行ったの
かもしれない。商店街のはずれにあるインテリアショップなんだ」
「ああ、あそこか」
「うん」
以前にも留守番中にけんかをして、愛花が母のところに駆け込んだことが
あった。学校を休んだ優花が外を走り回るのもおかしな話だ。ここは彼の
言う通り、様子を見たほうがいいのかもしれない。
「やっぱ、行くのやめる。吉永君の言う通りだよ。あとで母さんに電話してみるね。
愛花だって、無茶はしないよ。うん。きっとそうだよ」
優花は自分自身に言い聞かせるようにして、こくりと頷いた。その時、自然と
腕に視線が行って、まだ彼の手が添えられたままであることに気付く。
そのまま、吉永君に視線を移す。すると彼もそのことに気付いたのか、あわ
てて手を離し少し頬を赤らめながら、参ったなあ、と頭をかいている。
久しぶりに見る彼の照れた顔になつかしさを覚える。遠い昔の日々が
脳裏によみがえってきた。
「明日、模試だろ? 学校行けるのか? 」
気まずい沈黙を一掃するかのように、吉永君が突然話し始めた。
「あ、うん。行くよ」
「身体は大丈夫? 熱は? 」
「……ない」
え? というような顔で優花を見た後、吉永君の顔がだんだん無表情に
なっていく。
「ずる休み……か? 」
彼の一言が、優花の胸にずしりと突き刺さる。
「もしかして、昨日、俺が見たから? 」
ああ、完全にバレてしまったようだ。でもはいそうですと簡単に認めるのは
悔しい。優花は胸を張り、口を尖らせた。
「ち、ちがうもん。吉永君が何を見たのか、し、知らないけど。ホントに身体の
調子が悪かったんだから。でも、絵里とマミの顔を見たら元気になって、それで」
「わかった。俺は昨日、何も見なかった。それでいいのか? 」
「もちろん! わたしは何も気にしていませんから。おでこくらい見られたって
平気だもん」
優花は頬を幾分膨らませながらも一生懸命強がってみせる。背筋をこれでも
かというくらいに真っ直ぐに伸ばして。
「まあ、見られたのが俺でよかったってことで。それと……」
彼はふっと笑みを漏らしながら、優花のすぐ横に並ぶようにして立つ。
そして、首だけ曲げて彼女に顔を寄せて来た。
それも、優花のすぐ近くに。
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