あの日から三年目に、やっと海を見に行けた。
砂浜はタール色だった。
 
それから年に一度か二度は足を運ぶ。
ぽつりぽつりと 緑色が混じり、
ひとりふたりと 釣り人が増え、
夏には家族連れがテントを張るようになった。
 
そうして、防潮堤の階段を砂が占領し始めている。
十三年が経ち、砂は砂色の砂だ。
 
砂色の砂が、防潮堤と同じ高さにならないことを願う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
雪が積もった砂浜は、単純に白だ。
タール色でも砂色でもない。
それでも、黒褐色の記憶は消えない。
 
すこし前、ローカルニュースで知ったのだが、
あの震災が何月何日に起こったのか、
地元でも知らない子ども達がいるそうだ。
 
東日本大震災を、
〈3.11〉と呼ぶことに抵抗があった。
が、それでよいのかもしれないと思い始めている。
 
 
白の砂浜から防潮堤を見ると、賑やかな集団がいた。
地元の中学生か高校生と思ったが、
すれ違いざまに聞いた言葉は、
中国語(?)のようだった。
 
十三年の月日を想った。
彼らには、白い砂浜の記憶が残るのだろうと思った。
何故か、かなしかった。
とても、かなしかった。
 
合掌・・・
 
令和6年3月12日、新聞写真2点追記。
令和6年3月11日河北新報夕刊の写真を借用。自分の記事と同じ場所。
 
令和6年3月12日河北新報朝刊の写真を借用。自分の記事と同じ場所。