













きょうは好い日だった。
私にとっては、だけれど・・・
朝の空は99%が梅雨空だった。
けれど、残りの1%に、
湿気のない青空が見えた。
だから洗濯をし、ベランダに干した。
それから、本を読んだ。
新しいカメラを試したかったけれど、
傍にあるというだけで落ち着く。
だから、本の続きを読むことにした。
村上春樹の『夏帆』
午後1時ちょうどに読了。
洗濯物はからりと乾いていた。
本の、第四章、「守護天使、象の卵とスカーレット・ヨハンソン」の261頁に、
こんなセリフがあった。
「一般的な原則になってしまって悪いんだが、ひとつ心に留めておいてもらいたいことがある。それはね、我々が人生において体験する深刻な混乱の大半は、原因と結果の間に等価性が見いだせないことによって生じるということだ」
あぁーそうだなと思い、そこに付箋を貼った。ここは重要だと思ったから・・・。
読み進めると、同じ章の301頁から302頁にその文章が出てきた。それも太文字で。
夏帆はその『ブランデンブルグ協奏曲』に耳を傾けながら、回想の温かみの中にしばし身を休めていた。しかしやがて佐原(自称・モーターサイクルに乗った守護神。守護天使界のジャック・ケルアック)と交わした会話の一端が、冷ややかな暗流のように意識の底にするすると滑り込んできた。かれはこんなことを言っていた。
「ひとつ心に留めておいてもらいたいことがある。それはね、我々が人生において体験する深刻な混乱の大半は、原因と結果の間に等価性が見いだせないことによって生じるということだ」
夏帆はそれについてひととおり考えを巡らせてみた。そして、言われてみればたしかにそうかもしれないと思った。等価性。現在こうして私が置かれている、奇妙きわまりない、常識から明らかに逸脱した状況がひとつの「結果」であるとするなら、それをもたらした等価性を持つ(持たねばならない)「原因」はいったいどこに見いだせるのだろう?もし私自身にこの「結果」に対する責任があるとするなら、そこに至るどのような等価的原因を私は持ち合わせているのだろう?
心に留めておこうと思った。
覗いて下さってありがとうございます。
今日は七夕なんですね。
いまは全天☁曇りで天の川は見えそうもありません。
そちらは、満天の星空でありますように。
<(_ _)>
***メモ***
共同通信社の単独インタビューから抜粋
「リアリズムの文体で、非リアルなものを書くのが僕のスタイルであり、やりたいこと。凝った物語は必要だけれど、凝った文章は必要ない」
「人間の本質を言葉では説明できないけれど、物語という総対的なイメージに置き換えることは可能。そうすることで、人間の存在の総体を少しは解析できるんじゃないかと思っているんです」
「これまでは不条理なまま終わる話が好きだったけれど、今回は一つの結末をつけて、次のステップに進もうという雰囲気で終わりたいと思った」
ふるいふるいブロ友さんが
来年、還暦を迎えるそうだ
知り合った頃は40代の前半だったはず
自分はまだオバチャンで
いまは正真正銘のオババになった
めでたいんだよね?
地震は毎日だし
台風なんかダブルでやってくる
明日のことは、誰にもわからない
だから今日、写真を撮りに行って来たよ
バッテリーをフルタンにしても
96枚しか撮れなかった
カメラを持てたってことで
満足してもいいよね?
今日の仙台の空はこんなだったよ
覚えておいてね
仙台市・農業園芸センターにて
覗いて下さって有難うございます。
どなたもお元気ならよいなと思っています。
明日が好き日でありますように。
<(_ _)>
***久しぶりのオマケ***
園芸センターの敷地内から見た大沼
降り続いた雨で満水の大沼
スモークツリー
煙が目に染みたわけでもないのに、なんだか・・・😢
覗いて下さってありがとうございます。
久しぶりの晴れで、ちょっとテンションがあがりました。
偶のことなので、笑って見過ごして下さいね。
明日が好きでありますように。
<(_ _)>
すべての瞬間を覚えていることは出来ないから
この気持ちをいつか思い出せるように・・・


隣家が更地になった
月初めに業者さんが挨拶に来て
重機の爪音が響き
振動が胸に堪えた
そして更地になった
解体が始まったころ
朝刊にこんな俳句が紹介されていた
『 百人に死は百通り薔薇の香水 』
対馬 康子(1953年~)
まだ更地
薔薇の香水を手向けよう
ブログで「死」を書くことはタブーみたいだ
でも、そうなんだろうか・・・?
迷ったが、書いておくことにする
※、写真は隣家と何の関係もありません。
念の為
俳句は、6月5日金曜日朝刊の〈秀句の泉〉で紹介されていました。
永瀬十悟さんの紹介文をお借りします。
*****
人の死に方は一つではなく、百人いれば百通りあるーそんな人生への視座がある。死は誰にでも等しく訪れるが、そこまでの生き方は一人一人異なる。そこに置かれた「薔薇の香水」が印象的だ。華やかで洗練された香からは、美しく飾られた人生も思い浮かぶ。しかし同時に、華やかさとは無縁に生きた人々の人生までも照らし出す。香りという目に見えないものを通して、華やかでない人生にも、それぞれのかけがえのなさがあることを感じさせる。
*****
本は読んでいる。そのつど書きはしないけれど・・・。
6月は今日まで4冊。どれも面白かった。
昨日は庭仕事を頑張れたから、今日はチョッピリゆとり。
面倒になる前にメモを残しておこう。
これは自分のためのメモ書きです。遠慮なくスルーされて下さい。(*- -)(*_ _)ペコリ
①
『ペンギンにさよならをいう方法』
ヘイゼル・プライア(Hazel Prior)著 / 圷香織(あくつ・かおり)訳
本の扉の紹介文から
ヴェロニカ・マクリーディは八十五歳のきむずかしいおばあちゃん。
スコットランドの大きな屋敷にひとりで暮らし、お茶をしたり動物番組を見たりしながら、自分の遺産をどこへやろうかと考えている。
ある日、南極でおこなわれている資金不足のアデリーペンギン研究を知った彼女は、
遺産をゆずる相手としてペンギンがふさわしいかを見極めるべく、はるか南の大陸へと一世一代の旅に出たーー。
新聞の紹介文から抜粋
自分には親族などいないと思い込んでいた彼女に、無職でだらしのない孫がいることが判明する。この孫がヴェロニカとペンギンの物語に微妙に関わってくる。
さて、「自分の死を、いくらか役立てることができるかも」しれないと思って、南極までやって来たヴェロニカの気持ちはむくわれるのか。
この本の原題は『Away with the Penguins』となっている。
読み終わって、まだペンギンには「さようなら」を言っていないと思ったら、これは三部作だと「訳者あとがき」にあった。
なるほど・・・。では、二部、三部も読まなくっては・・・。
「訳者あとがき」はこのように〆られていた。
人生の幸せな面だけを描いた物語ではないのに、訳していてこんなに楽しく、心がぬくもった作品は初めてだった。訳者同様、本を手にした方が、この物語とペンギンに癒されることを願いつつ。
三部まで読むことができたら、どんな「さようなら」を見ることになるのだろう。
good-byeがhappyendであったらよいなと思う。
笑って書いておこう、アデリーペンギンの糞はピンクなんだって!~♪
↑本の裏表紙からお借りしました。(*- -)(*_ _)ペコリ
②
『いいことばかりは続かないとしても』 大崎清夏著
6月8日に投稿済み
③
『小学61年生』 朱川湊人著
新聞の書評欄より抜粋(評論家・切通理作氏)
本小説で主人公・辛崎渡のモデルとなった映画監督・河崎実もその一人である。ゴジラやウルトラマン、あるいは加山雄三の若大将など、50~60年代に生み出されたフィクション性の強いキャラクターの煌びやかな世界を一身に浴びた彼は、8ミリ映画の製作を通して夢の世界に没入していく。
中略
近代小説とは、主人公が自分の欠点を埋めようとする過程を通して、人物の成長を描く・・ものだとするするならば、最初から夢の世界を生き、未来にわたっても変化しない主人公というものは、テーマとしては難物であろう。
直木賞作家の朱川湊人は、辛崎渡が若い頃に、彼の8ミリ作りを共にしながら、その後会社員となり、家庭を持ち、難病を患う・・・という、年代とともに変化する幼なじみの副主人公・神崎杉千代のドラマと並行させることで、主人公の変化のなさを、それ自体奇跡のように寿ぐ。
そう、僕らは永遠の「小学生」。一度は遠のいても、夢は必ず自分の許へ帰ってくる・・・という証として。
文中に「どうかしちゃってる人」という表現がでてくる。
自分はよく「変わっている」と言われるけれど、「どうかしちゃってる」と言われたことはない。
いや、一度か二度くらいは、どうかしちゃったこともあった、かも。
叶った夢もあったのだと思った。
④
写真集『人と出会う場所 世界の市場』 小松義夫 写真・文
扉に書かれた著者の言葉
ぼくは、いろいろなところでくらす人びとと、その人たちが住む家の写真を撮っています。世界中の町や村、山奥・・・。
あたらしい場所をたずねたとき、ぼくがきまっておとずれるのが、「市場」です。
写真集の最後に書かれた文章
市場をおとずれて、たくさんの人に出会いました。
市場は、たくさんの声があふれている場所です。売り子の声や真剣に値段を値切る声、立ち話をする買い物客の声、いろいろな声があちらこちらから聞こえてきます。
商品とお金を交換するだけでなく、話しながら売り買いをして、情報を交換することで、市場からたくさんの文化や新しい流行、そして地名までもうまれてきたのでしょう。市場は、人と人が出会い、集い、交じりあい、新しい力が生まれる場所なのです。
新聞の子供向けの欄で紹介されていたので、漢字にフリガナがふってあり、
やさしい文章で書かれている。
こういう本が教科書だったらよいなと思いながら、写真を眺め、文を読んだ。
全部メモしておきたいけれど、一部だけ・・
モロッコ・シャウエンの町の青い広場
朝には何もなかった、ただの広場に、だんだんと人があつまって品物を並べて行きます。色鮮やかな野菜がとてもおいしそう。
今日はどこからきたの?と野菜を売るお兄さんにたずねると、ものすごく遠くの町から荷物をはこんできていて、おどろきました。夕方になると片付けをして、またつぎの市場へを出かけていきました。
国境ちかくのつぼ市場(ブルキナファソの北西部・マルコイ市場)
頭の上に、ひょいと上手に品物をのせて、カラフルな服を着た人たちが通ります。
ずらりとならんだたくさんのつぼは、ここでは生活にかかせない必需品。
しみ出した水は気化熱によって、水を冷たいまま保存する優れものです。
市場では、塩も売られていました。
「ここでは塩が手に入りにくいから、かならず塩が売られているんだ」
「動物の健康には、塩はかかせないからね」と、教えてくれました。
覗いて下さって、メモ書きを最後まで読んで下さってありがとうございます。
写真(シラン)と記事はなんの関係もないのですが、アデリーペンギンのピンクの糞に合わせました。笑っていただけましたら嬉しいです。(*- -)(*_ _)ペコリ