お母さんの腕の中と,私の強さと,伴走者。 | a memorandum

a memorandum

私の備忘録。
忘れてしまう,その前に。

今日は,ある曲について思ったことを書いていきたいと思う。

 

『きっと僕らは春を迎えに』

 

傘村トータさんの曲。

昨今,世の中を騒がせているウィルスとの付き合い方を書いた曲。

 

私がこの曲を知ったのは,深根さんというYoutubeでピアノを弾いたりしていらっしゃる方の動画からだった。

深根さんのピアノ動画は,キラキラした音が素敵で大好きだった。

 

ある夜,ベッドに入ってから,Youtubeを開き,この曲がアップロードされていることに気が付いた。

聞いたことがない曲だけど,どんな曲だろうと思って聞いた。

眠る前だったから,少しぼんやりと画面をみて聞いた。

そんなぼんやりとした視界に歌詞が飛び込んできた。

 

びっくりして,それから泣いた。

あまりにもあまりにも心に深く入り込んだ。

 

●現状に対する,不安,不安,不安...

この曲には,作者の不安があまりにもストレートな言葉で描かれていた。

作者の不安で真っ暗になってベッドの片隅で弱り切った姿が,手に取るように感じられた。

それと同時に,自分の中にも,同じように不安が巣食っていたことに気が付いた。

この先,世界はどうなるのか。

明日になったら,自分が死ぬのかな。

大切な人が死んじゃうのかな。苦しむのかな。

倒れたら看病してもらえるのかな。

皆1人ぼっちで死ぬのかな。

お金も何も無くなって,世界は崩壊しちゃうのかな。

先の見通しが見えなくて,当たり前に想像できてた明日の在り方が想像できなくて,

気付けば,怖さと不安でいっぱいだったのだ。

それでも,日常を守るために何とかだましながら暮らすしかなかった。

山盛りの重苦しい不安と一緒に。

 

●ありのままに不安を受け入れる

しかし,この曲は,ただ不安を共有するだけではない。

怖いよね。

疲れたよね。

不安だよね。

 

『しょうがないよな』。

と,ありのままに不安を受け入れてくれる。

不安で,怖くて,疲れちゃって,それでいいんだよ,と。

 

この,それでいいんだよ,という言葉,

とても聞き覚えがあって,

何かというと,

昔,まだ私がティーンエイジャーだった頃に読んでいた,夜回り先生の本に出てきていた言葉だった。

「いいんだよ。昨日までのことは,みんないいんだよ。」

「色んな明日を作ろう。」

とても安心して,赤ちゃんがお母さんの腕の中で寝てるときってこんな気持ちなんだろうなって思った。

 

久しぶりに聞いた気がして,

そっか,私不安でいいんだ。

いつも通りじゃなくていいんだ。

こんな暮らし嫌だって思っていいんだ。

この気持ち,当たり前なんだ。って受け入れてもらって,

それから,自分で自分を抱き留めることができたような重くどっしりとした安心感を覚えた。

 

そして,言葉にはなっていないが,

でも,生きよう。そう言われてる気がした。

 

●これは希望の曲

私はこの曲を,希望の曲だと思う。

不安を共有して,丸ごと受け入れて,そのうえで「大丈夫」と歌う。

この不安定な状況の中で,いったい誰が「大丈夫」と言い切れただろうか。

そして,根拠がなくていいから「大丈夫」という言葉を一体どれだけの人が待ちわびていただろう。

何もわからないけど,希望と未来を歌って,再生を言い切る。

それは,作者の信じる強さの象徴のように思うし,

この曲が人々に届くのは,その確信のない未来を信じる強さが誰の中にもあるからではないかと思う。

私の中にも,信じる強さがある。

きっと明日は来る。

また,普通の毎日がきっと戻ってくる。

「大丈夫」と言ってもらえたら,その力を起こして踏ん張っていける。

あなたの中にも,強さがある。

みんなみんなそれぞれの強さを持ってる。

 

そんな話をするある1冊の絵本を紹介したい。

Ana.M.Gomezの『しんじゅがいと チョウチョの おはなし:コロナウィルスとわたし』。

インターネットで公開されているので,ぜひ時間がある時に眺めてほしいと思う。

その中には私たちが持っている12のパワーが描かれている。

ある心理療法がもとになっているため,一部そのことが触れているが,考え方として,私はすごくエネルギーをもらった。

私たちは自分を大切にして守ることができる。

ただこの状況に振り回されるだけの存在じゃないぞ,と。

 

「きっと大丈夫だよ」というきっかけの言葉で,人は本来持っている力を発揮して生きていくことができる。

この曲は,底抜けに未来を信じて,寄り添い,そっと内側からエネルギーを供給し,走り出すことを助けてくれた。

 

この状況にやられるだけでは終わらないぞ,春が来るのを待っていないで,自分たちから迎えに行こう。

大変だけど,その時まで頑張ろう。

もちろん,一緒に。

そう伴走者のように,お母さんの腕の中のように,今も私とそばにある一曲。

それが『きっと僕らは春を迎えに』という曲でした。