永遠なる歴史の片鱗で 2
『本日はお忙しい中を父の通夜にご参列いただきまして
ありがとうございました。
無事、通夜を執り行う事ができました。
父は、50歳の時に結核になりそれから仕事を
辞めていました。
何度も病気を患って、その度にもう長くはないだろうと
思いながらこの歳まで生きた訳です。
今、私が住んでいる家は父の最後の仕事となった家です。
最後の仕事と言っても、建築中に病気になったので
途中で信頼のおける同僚の方にお任せし、結局は
自分が作り上げる事はできませんでした。
しかし、父の、最後の仕事だったのです。
仕事を辞めてから、病弱な父の状況を見て
いつ死ぬかわからない。
せめて、自分の子供の顔を見てもらってから
逝ってほしいなと思っていました。
そして子供も生まれ、2人の子供に対して
父はいろいろな場所へ連れて行ってくれました。
それから、せめて子供たちが父の存在、父の顔を
覚えておけるくらいになってから逝ってほしいなと
思うようになりました。
おかげさまで息子たちもそれぞれ中学生となり
完全に父の顔を覚えていられる年代となりました。
病気が進行し、寝たきりになった父のところに
息子たちは学校から帰ってくると真っ先に駆け寄り
1日の出来事を聞かせてあげていた時の
父の嬉しそうな顔が印象的でした。
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ありがとうございました。
無事、通夜を執り行う事ができました。
父は、50歳の時に結核になりそれから仕事を
辞めていました。
何度も病気を患って、その度にもう長くはないだろうと
思いながらこの歳まで生きた訳です。
今、私が住んでいる家は父の最後の仕事となった家です。
最後の仕事と言っても、建築中に病気になったので
途中で信頼のおける同僚の方にお任せし、結局は
自分が作り上げる事はできませんでした。
しかし、父の、最後の仕事だったのです。
仕事を辞めてから、病弱な父の状況を見て
いつ死ぬかわからない。
せめて、自分の子供の顔を見てもらってから
逝ってほしいなと思っていました。
そして子供も生まれ、2人の子供に対して
父はいろいろな場所へ連れて行ってくれました。
それから、せめて子供たちが父の存在、父の顔を
覚えておけるくらいになってから逝ってほしいなと
思うようになりました。
おかげさまで息子たちもそれぞれ中学生となり
完全に父の顔を覚えていられる年代となりました。
病気が進行し、寝たきりになった父のところに
息子たちは学校から帰ってくると真っ先に駆け寄り
1日の出来事を聞かせてあげていた時の
父の嬉しそうな顔が印象的でした。
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ふせん仕事術研究所設立! わくわくエイプリルフールイベント

ふせん塾を開設してから2ヶ月が経ちますが、ついに
ふせん仕事術研究所を設立する運びとなりました

ふせん仕事術研究所では、ふせんの様々な活用術の開発を始め、能力向上・行動スピードアップの数値的な証明、夢・目標達成の再現性のあるノウハウ研究などを行っていきます。
設立を記念してパーティーも予定しています。
日時等決まり次第掲載しますのでしばしお待ちください!

